ここのところ毎日のようにホランドはムーンドギーをからかい続けている。

『パチンコ事件』のせいでムーンドギーも少しはマシな警戒が出来るようになったのだが、
生来の素直さのせいで未だに何度も騙されからかわれ大笑いされている。

彼の恰好の暇つぶしとなりつつある自分に、そろそろ嫌気がさしてきた。

「なあ、おい」

またきたっ!“なあ”がきた!“なあ”がきたぞ!

反射的に身構える。しかし予想を大いに反し、ホランドは真面目な顔をしていた。

「お前さ、新しいの欲しがってたよな」

見れば彼の手の中にはムーンドギー愛用種類のリフボードワックス(新品)が納まっている。

「あっ」

「ないんだったよな?」

「うん、うんっ」

良い品ほど値が張る。特にリフボードに関する物は驚くほど値段が高い。
いまの月光号の財力には備品を完全に揃えることは不可能。
小さな物でも報告し承諾を受けお金を預かってから買わなければならず、簡単に好きな物を購入するということが出来ない。

「え、え? それ……」

もしかして、もうワックスが底を尽きそうで困っていたことを知って、買ってくれたのだろうか?
もしかして、もしかしなくても、いややっぱりもしかすると、くれたり……する? くれたりしちゃう? くれるのか?

「あぁ、良いぞ。やるよ」

ホランドの言葉にムーンドギーは顔を輝かせて、両手を揃えて前に出した。
ギジェットいわく『ちょーだいvのポーズ』だ。

しかしホランドはムーンドギーの手の平にワックスを乗せようとしない。
わけが分からず首を傾げると、当然だろ? という顔でホランドは眉を動かした。



ホランドは「いま、普通に撫でようとしてたッ!ヤバい、普通に撫でそうだったッ!」と内心冷や汗をかいていた。
顔を輝かせて、ちょーだいと強請る。こんな姿もちょっと可愛いと思えてしまう。
嬉しさを全開にしている目の前の少年の頭を、もう一度、いや、もう二度くらいかき乱す勢いで、撫で回したい。
がばっと抱きしめてぐりぐりと……。自制しがたい衝動だった。

いいじゃんいいじゃんこいつ可愛いんだし犬を撫でるみたいに撫で回せよ、という自分。
いやいやいやそれは駄目だろう確かにこいつは可愛いけどそれは駄目だ、という自分。

無意識のうちに、気を緩ませると、手が目の前の少年の頭を撫でようと伸びていく。
急いで手を止め、ワックスを力の限り握り込む。
大人の余裕を持って行動しなければ、という呪文を唱え深呼吸をして……ため息を吐き出した。



ムーンドギーは心からの喜びを感じていた。
タチの悪いからかいばかりする人だと思っていたが、やはりこの人にはこういう優しいところとがあって、
自分みたいなやつにまでこんなプレゼントをくれて、やっぱり良い人なんだ。

憧れの人な上に、いままで心から近寄ったことのない人。
ギジェットに「仲良くなれて良かったね」と言われた。

そうなのかな、こういうことして貰えるってことは、仲良くなれたのかな。
そう考えても良いのかもしれない、と、そう思えてくる。それは凄く、嬉しいことだ。




大きく咳払いをしてから、

「簡単に、さぁどうぞってのはつまんねえよな」

ホランドは、猫のように目を細めて笑った。

「これからおれが出す質問に正解出来たら、タダでやる」

「質問って、もし間違ったら……」

「間違ったら、ワックスは無しだ」

彼は確実に楽しんでいる。ムーンドギーはホランドに聞こえない程度に、悪い予感がする、と呟いた。
彼が頭の良い人間だということは知っている。そして性格が悪いことも、知っている。
だから、もしその質問が難問だったとしたら。
当てられる可能性はゼロだ。

「あの、その問題って、むっ、難しかったり」

「いんや、しねえ。ちっとも難しくない。リンクだって解ける問題だ」

「え?」

難問ではなく子供でも答えられる問題だと、彼はそう言って見せびらかすように手の中でワックスを転がした。
難しい問題が出されるのかと身構えていたのに、とムーンドギーは肩にいれていた力を抜いた。

( リンクが解ける問題? それって、すんごく、簡単なんじゃないかな……そんなら、大丈夫だよな……。 )

「ワックス、欲しいだろ?」

「……そりゃ、欲しい、けど」

「そうか欲しいか。んじゃ問題いくぞ」

問題を言い出そうとするホランドを急いで制止する。
そして、落ち着くために深呼吸をした。とりあえず、落ち着かなければ。
3回目の深呼吸を終えて、ムーンドギーは握り拳を握った。

「よしっ!」

気合いを込めて、ホランドの手の中に収まっているワックスを見つめた。

( 待っでろよ、絶対っ、手に入れでみせっがら……っ! )

「んじゃまず、ピザって10回早口で言ってみ?」

「へ?」

意地悪い笑顔を引っ込めて、ホランドの顔はいま、至って真面目だった。
前回の『パチンコ事件』が瞬時に頭に浮ぶ。あんな恥ずかしい目にあうのは、もう二度とごめんだ。

「また、前のパチンコの時みたいなやつ? だったら、オレ言いたぐねぇ……」

ムーンドギーは拗ねるように口を尖らせて俯いた。
ホランドの指先が、ムーンドギーの頭に被さっている帽子を弾く。

「違う。普通に考えてみろ、ピザなんて単語は二文字なんだぞ? 順番を変えたってザピにしかならないだろ」

確かに言われてみればその通りだ。
しかし前回のダメージが大きかった分、素直に受け入れられないでいる。

「なんだよ、ワックス欲しいんだろ」

「欲しい」

「んじゃ、ピザって10回言え」

「前のとは違う?」

「うんうんハイハイ前回みたいのはもうしません」

飄々と言うホランドの顔を、下から疑惑の目で見つめる。
しかし手の中のワックスを見せびらかされ、とうとう、

「ピザピザ、ピザピザ」

「だぁーから、それじゃ早口になんねえって」

指折り数を数え、さっさと済ませたい一心でスピードを上げる。

「ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ!」

言い切った達成感にムーンドギーはガッツポーズをとった。
達成感を味わっているムーンドギーに、ホランドが自分の膝を指さしながら問うた。

「ここは?」

「ピザ」

答えた数秒後、ムーンドギーは、しまったっ!と顔をしかめた。

「へえー、ドギー兄さんの膝はピザなんですかそうですか」

「違…ッ!いまのは、言い間違っで、ほんどは、ひざって言いたぐって」

ホランドはまた、腹をかかえて大爆笑している。

「……で、あの、問題は……?」

「いまのに決まってるだろ」

「はいいいいいいい!?」

ムーンドギーの、ショックを受けた顔にホランドはさらに吹き出して大笑いした。

「本当にピザって言うやつも居るんだなぁ。いやあ、良いもん見れたわ」

笑うだけ笑って、ホランドはさっさとその場を後にしようとする。
咄嗟に、ホランドの服の裾を握った。

「ワックスは!?」

ムーンドギーの必死な顔にホランドは一瞬真顔になった後、また吹き出した。

「ほ、ほんとに、くれないの……?」

ホランドはケタケタと笑いながら、去っていった。
残されたムーンドギーは思わず踞り、悔しさが込み上げ床に向かって「くっそぉぉぉ!!」と叫んでいた。

そして遠くからホランドの笑い声がこれでもかと言うほど耳に届いた。







ソファーで、ヒルダは残り少なくなってきた食材を計算して今日の晩ご飯のメニュー決めに悩んでいた。

「うーん、困ったなあ。買い置きが足りなくなってきた」

残っている食材を紙に書き出して、その食材でどれだけの料理が作れるかを考えている。
少ない食材でたくさんの人数が満腹になれる料理というのはなかなか難しい。

うんうんと唸りながら食材のリストと睨めっこをしていると、自分が座るソファーの反対側から、うんうんと唸る声が聞こえてきた。

「ん?」

そぉっとソファーの背もたれに手をかけ、顔を半分だけ出して覗いてみる。
レモン色の髪をソファーに散らして横になっているムーンドギーの姿があった。眉間にシワを寄せながら眠っている。

「……悪夢でもみてるのかしら」

ヒルダは魘されながら眠るムーンドギーの前髪をさらりと撫でた。





空は広いな、大きいな。

リフが、好き。そうだ、リフが好きだ。

リフをしながら両手を広げる。腕が風を切っていく最高に気持ちの良い瞬間。指を広げると風がすり抜けていく。
足を揃えて両腕を左右に広げる。昔見た映画に、船首で男女二人がこうしているシーンがあった。

空の青が目に眩しく、雲の白さが心地良い。太陽が近い。リフをしていると嫌なこと全てを忘れられる。
何処までも行ける、何処へでも行ける、そう思えるから。
鳥の羽ばたく音が聞こえる。いつの間にか翼が生えていた。
振り返ると背中の翼は太陽の熱で溶けかかっている。羽ばたこうにも石膏像のように重く、動かない。
足下のリフボードが揺れる。
背中の翼はドロドロに溶けてしまった。バランスを崩す。
頭から地面へと落ちていく。翼を溶かした太陽に両手を伸ばした。

手を掴まれた。真っ逆様に落ちていた身体が、嘘のようにもとの体勢に戻っている。落下も止まっていた。
誰かに支えられている。身体を強く抱きしめられている。温かい。この人は誰だろう。
顔を見ようにも太陽の逆光で、いくら目を細めてみても分からない。
あなたは誰ですか、という言葉が、喉に蓋をされているかのように出てこない。
助けてくれてありがとう。あなたは誰ですか。あなたは、どうして――

ふと自分の体勢に気が付く。これは俗に言う、お姫様抱っこというやつではないだろうか。
助けられているのに、どうしても腹が立った。
お姫様抱っこだなんて、自分は男で、こんな女の子扱いされる筋合いはないのに。
しかしここは空の上で、暴れようにも暴れられない。悪いことに胸が音をたてて鳴り出す。
やめてくれよ、そんな、女の子じゃないのに、なんでお姫様抱っこでドキドキしてるんだ。勘弁してくれ。

この匂い、何となく知っている気がする。温かい。この温度も知っている気がする。胸が、バクバク言っている。
やめろよ、気持ち悪い。女の子じゃないのに。

胸の鼓動がこれ以上ないくらいのスピードで高鳴る。胸が苦しい。

太陽が雲に隠れた。自分をお姫様抱っこする『誰か』の顔が、確認出来た。

知っている。

あぁ知っているさ。

この人は、この人、は――


「 “なあ” 、ドギー」


『彼』が猫のように目を細めて、笑った。





「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


自分の雄叫びで飛び起きた。
ムーンドギーの様子を見下ろしていたヒルダも突然のことに、目を丸くする。

「……夢?」

言葉にすると、妙に納得する。夢らしい夢だった。嫌味なくらい悪夢だった。

とりあえず深呼吸をして呼吸を整えた。次に、胸に手を当てて心臓の音を確かめる。

( 大丈夫、大丈夫だっ。あのドキドキじゃない、うん、これは普通のドキドキだ……っ! )

額に浮かんだ汗を手の甲で拭い、ようやくヒルダに気が付いた。

「起きた?」

ムーンドギーと目が合うとヒルダは困ったように笑った。

「嫌な夢でも見てたんだと思うけど、大丈夫?」

嫌な夢。そうだ、それはもう嫌な夢だった。

「大丈夫……ちょっとヤな夢、見て、ビックリした」

「そう。あんな雄叫びあげるくらいの夢が、“ちょっとヤな夢”なのか」

「いや、ほんとは、すっごく、ヤな夢で」

ヒルダは分かっているというように、うんうん、と頷いた。

「どんな夢だったの? 言うの嫌じゃなかったら教えてよ」

彼女の母性に安心する。
うんうん、と頷きながら聞いてくれるヒルダに、ムーンドギーは心が軽くなっていくのを感じた。


下手くそな説明で、どうにかこうにか夢のことを説明した。

「で、リーダーが、なあって言って、笑って、怖かった」

「へえ。なんだか、少女漫画と神話とホラーが混ざったような夢ね」

クスクスと笑うヒルダに、ムーンドギーは口をパクパクさせた。

ずっと思っていたことがある。
それが気になって、一人で悩んで、怖くなって、怯えていた。
どうしたら良いのか、どうすると駄目なのか、どれが最善なのか、教えて欲しい。

「ドギー? どうしたの?」

餌を欲しがる金魚のように、口をパクパクしているムーンドギーの顔の目の前でヒルダが手をひらひらさせた。
ムーンドギーは、口を一度閉じて、ヒルダを見つめた。

「え? ちょ、ちょっと、止めてよ。あたし小犬の目とか見ちゃうと連れて帰っちゃうんだから」

ムーンドギーは眉を八の字にしてウルウルとヒルダを見つめている。
ムーンドギーには目の前のヒルダが答えを導き出してくれる指導者のように見えていた。
(ヒルダは、雨の日に捨てられダンボールの中でキュンキュンと鳴く小犬を見ている気分だった。)

「オレ、嫌われて、そんで、だから、こうなっちゃったのかもしんない」

「……は?」

下手くそ過ぎる説明の意味がわからずにいるヒルダに、ムーンドギーは、だぁから、と言葉を続けた。

「リーダーを怒らせるようなことして、だから、あの人はオレに、仕返しをしてるのかも」

「怒らせること?」

「だから、オレ、女の子みでぇに、あの人に抱っこされてドキドキして」

「抱っこ? ドキドキ?」

「なんかしちゃっだのかもしんねぇ……。どうしよう、あの人怒ってるんだ、だから仕返しすんだ!」

顔を青くしたり赤くしたりをしているムーンドギーの口を塞いで、とりあえずヒルダは、どーどー、と言ってみた。
ムーンドギーは珍しくまだ喋ろうとして、手の平に押さえられている口をむごむごと動かしている。

「ねえちょっと待ってよ。そんな一人で喋ってたら、こっちは何もわかんないじゃない」

少年の口を塞いだままヒルダはため息をついた。

「確かに最近のホランドはあんただけをからかってるし、最高に嫌味で最高に楽しそう。それは誰もが認める。
でも、どうして『仕返し』になっちゃうの。からかってるだけよ。
度が過ぎてるからかいもあっただろうけど、あんたも知ってるでしょう? あの人はああいう人なのよ。
それとも、あの人を怒らせた心当たりでもあるわけ?」

ん? とヒルダが聞くと、ムーンドギーは少しの間をあけてから、ううん、と首を横に振った。
ゆっくりとヒルダの手がムーンドギーの口を解放した。

「こっちがなんも知らなぐて、でもあっちはちょっとしだことで傷ついたこととか、あっだのかも」

「あの人の性格をよく考えてみなさいって。そんなガラスのような心を持った人間じゃないわ。防弾ガラスで出来てそうじゃない」

「防弾ガラス?」

「そうよ、防弾ガラスよ。それに、悪いけど、あんたにはあの人を傷つけられるとはどうしても思えないんだよねぇ」

「なして※1?」

「あんたが自分で言ったんじゃないの。悪気が無くても、ちょっとしたことで相手を傷つける場合もあるって。
そう言いたかったんでしょ? そういうことを思いやれる人間が、どうして他人を傷つけられるのよ」

「でも、オレ、そんな優しい人間じゃないし」

ヒルダは手をポンと叩いて、そうだ、と言った。

「聞きに行けば良いじゃない」

「……だれに?」

「ホランドに」

「……なにを?」

「あんたの聞きたいことを」

ほいなこと※2無理だぁ!と叫ぶムーンドギーを押さえ、ヒルダはニコニコと微笑む。

「だってこのままずっとウジウジしてたって、あんたはどうにもならないままウジウジし続けるもの。だったら、さっさと聞いて来ちゃいなさい」

「だって、もし怒っでたら」

「理不尽な八つ当たりとかだったら、あたしが叱ってあげるから」

さぁ行っておいで!とムーンドギーをソファから追い出した。

「え、え? もしかすて、今すぐ!?」

「晩ご飯には間に合うから大丈夫よ」

食材リストでムーンドギーの顔を扇ぐ。ムーンドギーの顔はさらに小犬の顔になっていた。

「多分、あんたはからわかれること自体は嫌じゃないのよ。あぁ、この前みたいのは嫌なのよね? うん。
んで、あんたがそこまでネガティブになってるのは、あの人がからかった後、一度も謝らなかったからじゃない?」

ヒルダは組んだ手の上に顎を乗せた。

「笑いながらでも良いから、ごめんごめんって謝って欲しかったんじゃないの?
だってその言葉があったら、こっちだって、あぁ冗談だったんだって思えるもの。
でもそれがなかったから意地悪されてるのかもって不安になったのよね」

彼女の言っていることは全て、ムーンドギーの心の奥にあったものだった。
見透かされているのかもしれない、と思わず胸を手で隠してみた。

「何してんの、別に透視なんかしてないわよ」

「でも、でも、それっ、言いたぐって、でもわけわがんなくなっちまうがら」

「うんうん、考えていくうちに嫌われてるんだっていう結論になって辛かったんでしょ」

「うん、うんっ」

あんたは本当に愛すべきお馬鹿ちゃんね、とヒルダは笑った。

「怖いまんまは、嫌でしょう?」

ん? と聞くと、少年は素直に、うん、と頷いた。

しばらくその場でもじもじしながら立ち続け、そして、上目遣いのような目線で、ヒルダの顔を見つめた。

「……今日の晩ご飯、なに?」

「あんたの好きなもん作ってあげるよ」

「……ポッキー」

「それは明日の3時のおやつ」

「……野菜スープ」

「特別にウィンナーも入れてあげるから」

ヒルダは笑いながら片手を振った。


ムーンドギーは重たい足を引きずって、ホランドの部屋へと向かった。







            つづく




※1 なして 東北弁で『なんで』『どうして』 ※2 ほいな 東北弁で『そんな』