ムーンドギーは無意識のうちに、唇を噛み締めていた。

手からプリンが落ち、床で音をたてて転がった。
その音にホランドが振り返る。

野菜スープとムーンドギーの顔を交互に見てから、ホランドは納得したように頷いた。

「ああ、これ、お前か」

片足分だけ後ろに後退ってから、小さく頷いた。

ホランドはムーンドギーの側まで歩いてくると、屈んでプリンを拾い上げた。

「これしかなかったか?」

ホランドの言った言葉の意味が一瞬分からず、え? と聞き返した。

「プリン。これしかなかったのかって」

「ぁ……あと、一個……」

ムーンドギーの言葉を最後まで聞かずに、ホランドはプリンを少年へ返してから、食料庫へと向かった。


彼とすれ違った時、部屋に満ちていた匂いを感じた。

( 匂いって、服とかじゃなくても、つくもんなのかな。 )

彼の背中を見つめながら、これは素肌の匂いなのだろうかと、頭のすみで考えた。



ホランドが、手にプリンを持って戻ってきた。

「奥に隠してたの、お前か?」

頷くと、ホランドは顔をしかめた。

「探したんだぞ」

「ご、ごめんなさ……っ」

ホランドはニヒっと笑った。

「独り占めしたかったんだろ。美味いもんな、コレ」

独り占めしたくなるのも分かる、と言ってプリンをカウンターの上に置いた。

「お前、なんか、似合うし」

「へ?」

「プリン食ってる姿とか。見たことねえけど、なんか、似合いそう」

野菜スープの中身をかき混ぜながらホランドは何でもないことのように言う。
褒められたのか貶されたのかわからず、ムーンドギーはどうともリアクションがとれなかった。

ホランドは食器が入っている棚を開けて、白い器を二皿手に取った。

「これでいいよな?」

質問をしたにも関わらずホランドはムーンドギーの返事を聞かずに、器に野菜スープを盛っていく。

( ……ん? オレのと……ホランド、の? )

彼に押し付けられた鍋の蓋と缶のお茶とお気に入りの牛乳プリンを抱えたまま、ムーンドギーは首を傾げた。

「リーダーも、食べるの?」

「なんだよ。コレまで独り占めする気か?」

お前って意外と独占欲強いんだな、と言われ、ムーンドギーは思い切り顔を横に振った。

「違っ……、オレは、ヒルダにあとで食べるって言ったんだけど、リーダーは」

「寝てたんだ」

ムーンドギーは、そう言って自分の皿にウィンナーを多めによそるホランドを、ただ見ていた。

「冷たいよな。誰も起こしてくれなかったんだ」

だから、夕飯を食べ損ねた。


スプーンを二つ用意しながら、小さく返事を返した。

「そうなんですか」

「一回、誰か来たのはわかるんだけどな」

そう言いながらホランドは盛った皿をテーブルへと運んだ。向かい合わせになるように置いていく。

「誰かまではわかんねえけど。ガタッて音がして」

「その時、リーダーは、起きて……」

「その音で起きたけど、また寝た」

ムーンドギーは、良かった、と声に出さずに呟いて、安堵のため息をついた。







ズズっと野菜スープをすする音が、静かな食堂に響いた。

いただきますをしてからは何の会話もない。

「……………………。」

何か話をふらなければ、という義務感が不意に胸をよぎった。
そういえば、さっきから自分は何もしていない。ずっとぼんやりしていた気がする。
野菜スープもこの人が皿に盛ってくれたし、テーブルにまで運んでくれて……自分は、何もしていない。

( 野菜スープを火にかけて、んで、プリンがあと何個あるか教えただけだ……。 )

何もしていない自分に憤りを感じ、せめて会話くらいこちらからしないと! と、意気込んだ。

そして、フォークを置き、顔をホランドに向け、いざ口を開いて――

「あのさぁ」


( ………、あう。 )

開けた口を、ゆっくりと閉じた。ちょっとだけ、情けなくて涙が出そうになった。

先に切り出したホランドは、口に残ったウィンナーを咀嚼している。
それを飲み込んでからまた、あのさぁ、と言った。

「お前、こんな話知ってるか」

「へ?」

ホランドは野菜スープを見つめたまま、ボソボソとまるで独り言のように話し始めた。

「電線に、雀が10羽とまってたんだ。そのうちの一匹を猟師が撃ち落とした」

顔をあげて、ムーンドギーの目を見つめる。

「電線に残ってる雀は、あと何羽だと思う?」

深刻なことのように質問をするホランドに、ムーンドギーは困惑した表情をみせた。

「えと、10羽いて、一匹撃たれて、んで、残りは何羽って質問だから……」

残ってるのは9羽、かな? と自信なさげに答えた。
するとホランドは口の端を少しだけ上げて、違う、と言った。

「いないんだ」

「いない?」

「雀は銃の音に驚いて、全部飛び立ったんだ。だから、電線には一羽も残らない」

つまらなさそうに言うホランドの答えにムーンドギーは素直に感心した。

( そっがぁ……、そういう考え方、すんだなぁ……。 )

ムーンドギーは顔を輝かせて心底から、頭良いなぁ、と言った。

そんなムーンドギーの様子に、ホランドは拍子抜けした顔で、目を瞬かせた。

「じゃあ……じゃあ、これ知ってるか」

少年の反応に、自分も次第に楽しくなってきて、ホランドは無意識のうちに顔に笑みを浮かべていた。

「豚が大空を優雅に飛んでいる。さて、なぜこの豚は空を飛べる?」

うーんうーん、と唸りながら真剣に考えているムーンドギーの様子を眺める。

「わかった、そのブタは、リフボードに乗ってたんだ!」

自信満々に目を輝かせて答えるムーンドギーに、ホランドは思わず吹き出した。

「ハズレ。豚はリフボードを持ってないんだ」

「じゃあ、空を飛べる種類のブタだったとか?」

「またハズレ。空を飛べる種類の豚なんて存在しない」

また難しい顔をして考え出したムーンドギーに、ブッブー時間切れでーす、と告げた。
怪談話をする時のように声を低くして、

「答えはな……」

「答えは……?」

ホランドの低くなった声に、無意識のうちに生唾をゴクリと飲み込んで、答えを待った。



「その豚は、自分を鳥だと思っているから」



意外な答えに、ムーンドギーは、ハァァァァァァァァァァァ!? と声をあげた。

「な、なにソレ。わけわがんねぇ」

腹を抱えて笑い出したムーンドギーと共に、ホランドも笑い出した。

「おれもこれ聞いた時、今のお前と全く一緒の反応だった」

「だって、ブタと鳥って、全然違うのに」

2人とも声を揃えて、わけが分からない、と笑った。


「他には?」

「聞きたいか」

「聞きたいっ」

空咳をして、勿体ぶりながら、自分も楽しそうにホランドは話し始めた。

「電線に1羽の雀がとまっていた。そこに猟師が来て、弾丸が込められてない鉄砲で雀を撃つ真似をした。
すると撃つ真似をしただけなのに、その雀は電線から落ちてきた。さて、それは何故?」

「足を滑らせた、とか?」

「ハズレ」

「実は銃に弾丸が込められていた、とか」

「ハズレ」

まだ器の中に残っている野菜スープのことはすっかり忘れて、ムーンドギーはホランドの話に夢中になっていた。

「答えは、寿命」

答えを教えてもらった瞬間、唖然とした。そして、笑いが込み上げた。








                         * * *








月光号内の見回りをして、一つ一つ、電気を消していく。電気を消すと、非常灯が廊下をオレンジ色に染める。

ホランドの、一日の最後の仕事がこの消灯兼見回りで、一日も欠かさずに続けている。
トイレの電気だけは子供達が怖がらないように消さないでおくのも忘れない。

自分の歩く足音が、静かな廊下に寂しく響く。

( あいつ、あんな顔して、喜ぶんだ。 )

頬がくすぐったくて、押さえるように手を添えた。押さえていないと今にも笑い出してしまいそうだった。

( あんな顔して、喜んで、なんでもないことを、楽しんで。 )

あの少年と2人きりの食事は、我ながら情けないが、正直どうしたら良いのか分からなかった。

普段から他人との会話をなるべくしないようにしている少年と、どうやって話をすれば良いのか。
別に、無理してまで会話をしようとしなければ良いことなのに――

何か会話をしなければいけないと思った。
酷く情けない話なのだが、あの沈黙が、たまらなく息苦しかったのだ。
だからと言うか何と言うか……、気づかなかったが、とにかくあの時の自分は、パニックになっていたのだ。

本当に情けない話なのだが、この自分が、あんな話題で場の空気を変えようと試みる程に、どうしたら良いのか、分からなかったのだ。


可愛い、と感じた。
焦って変な話題を持ち出したのに、それをとても楽しそうに聞いて、はしゃいで、真剣に悩んで。

不覚にも、可愛いと感じてしまい、あの少年が喜んでいるのを見て、自分も嬉しくなってしまったのだ。


頬に添えていた手で乱暴に頭をガシガシとかき乱した。

( 何だよ、何だよっ。これじゃあ思春期真っ直中のガキみてぇじゃねえか! )

自分の行動が恥ずかしくて情けなくておかしくて、乱暴な足取りで歩を進める。


「……おれ、何かおかしかねえか……?」

おかしいだろう。いや、おれがって言うか……いやいや、おれがおかしいんだけど。………おかしい、よなぁ。

まともな思考回路でなくなってきている。おかしい。こんなの、自分らしくない。

( あぁ、ちくしょう。 )


冷静に、落ち着いて自分の気持ちを整理して考えて、答えを導き出してみた。

答えは、本当は考えなくても、わかることだった。

そうして導き出されたのは、自分はあの少年と話がしたくて、そして喜ばせたかったのだ、という結論だった。


「あいつが、ああいうキャラだから、かまいたくなるだけで別に……他に意味があったりとかは、なくて――」



…………。


…………………。


…………………………。


「そうだっ、ペットだ!!」

静かな廊下にホランドの声が響く。しかし声の主であるホランドは、それどころではなかった。

「そうだ、そうだよ。ペット。そうそう、ペットだ」

ペットをかまいたくなるのと一緒。ペットを可愛がるのと一緒。そうだ、そうだよ。その通りだ。

多少の胸の違和感は感じるものの、こうとしか、今は表現のしようがない。

( そうだよな、ペットみたいだから、かまいたくなって、グリグリってしたくなるんだよな。)

そうそう、そうだよ。だからおれは別に変じゃないんだよなっ!と一人で首を激しく縦に振った。


しかしそれでも、

「……ペット、だよな……?」

答えの返ってこない自問自答を繰り返した。







食堂に戻るとキッチンでムーンドギーがちょうど洗い物を終えたところだった。
片づけを頼んでいたものはもう片づけられていて、プリンのカップもお茶の缶もなくなっていた。

「お前、先に部屋に帰ってれば良かったのに」

「いや、別に、洗い物してたから……」

手を拭きながら、ムーンドギーは小さく呟いた。


食堂の電気を消して、2人並んで部屋へと続く廊下を歩いた。


やはり会話はなく、沈黙が流れる。


「…………。」

「…………。」

「…………。」

「…………。」

「……あの」

沈黙を先に破ったのは、ムーンドギーだった。
ホランドは横を歩く少年を、足を止めずに見下ろした。

ムーンドギーも歩く足は止めない。しかし、歩くペースはゆっくりだった。

「さっき、食べてる時、面白い話してくれて……ありがとうございました」

そんなこと気にしていたのか? とホランドが問おうとするのを、ムーンドギーが言葉を被せて遮った。

「オレ、正直どうしたらいいのか、わがんなくって、ホランドが、話してくれて、嬉しかった……」

ムーンドギーはもう一度、嬉しかったんだぁ、と呟き、遠慮がちに微笑みながら、ホランドを見上げた。

( ……こいつ、計算してやってるわけじゃあ、ないんだよなぁ……? )

胸に何かの矢が刺さったような錯覚に襲われた。

( いやいやいや、ヤバイだろ。年下の男相手に胸キュンて、ヤバいだろ! )

首を思い切り横に振って、ちろっと考えてしまった想像を振り払った。

「別に、お礼を言われるようなことじゃない」

ホランドが、ぶっきらぼうにそう言うと、少年は小さく笑った。

「無理して、話題作ってくれてたから」

( こいつ、鈍いのか鋭いのか分かんねぇな……。 )

また頭をガシガシとかいていると、横を歩くムーンドギーが足を止めた。
ホランドを見上げたその顔は、眉が八の字になっていた。

何かを言おうとして、口を小さくパクパクさせている。



この人に、言わなきゃいけないことがある。聞かなきゃいけないことが、あるんだ。
いまなら、言える。いまなら、聞ける。

ムーンドギーは震えそうになる手を握りしめ、深呼吸をした。


「なんだよ」

「あの」

「うん」

「ホランドは、オレのこと――」


              嫌い?


少年の声は酷く小さく、聞き取りづらかった。
ムーンドギーは誤魔化すようにハハっと笑って、また歩き始めた。

「嫌われる要素、いっぱいあるから……っ、自分でも、分かってるから、嫌われても、しょうがないんだけど――」

「は?」

「オレ、あんたになにをやっちゃったのか、覚えてなくて、わかんなくて……だから、出来れば、教えてほしくて」

ホランドは、一人で話を進めていくムーンドギーの肩を掴んだ。
少年は酷く怯えた表情を浮かべている。

「お前いきなり、何言ってんだ?」

心底わけが分からない!という顔をするホランドと対照的に、ムーンドギーは今にも泣きそうだった。

「オレがなにかしたから、あんたは怒って、オレをからかうんだ」

喉から絞り出されたような声がホランドの胸を刺した。

「なんでおれがお前をからかうと、怒ってることになるんだ」

「だって、そうでもなきゃ……」

それ以上は言葉にならなかった。

ホランドはため息をついた。額に手を当てて、そんなことを考えてたのか、という言葉を吐き出す。

「お前は何にもしてない。んで、おれもお前を怒ってない」

「……仕返し、だったんじゃないの……?」

「仕返し? そんなことするわけねぇだろ」

「だって……でも、じゃあなんで――」

「からかったのかって? そんなの、コミュニケーションだろうが」

ほんとに怒ってないの? と聞くムーンドギーに、ホランドは何度も頷いた。

「オレのこと、嫌いになってない……の?」

「なってない」

ムーンドギーは深く息を吸って、ゆっくりと時間をかけて吐き出した。
そして、良かった、と呟いた。

「嫌われてたら、どうしようかって思って……恐かった」

「恐い?」

「レントンが来てから、オレ、あんまりからかわれなくなって……。
ほんとは少しそれが、寂しくって、んで、ホランドが、またからかってきて、それがなんでかすごく嬉しかったんだ。
でも、前のと違くて、酷いっていうか、そんな感じで、オレ、嫌われたのかなって思った」

精一杯、訛らないように気を払いながら、ゆっくりと言葉を吐き出していく。

「でもあんたが理由もなく怒ったりするわけないから、オレがなんかしたんだろうなって、思って……。
だから嫌われちゃったのかなって。そう思ったら、すごく辛くて、悲しかったんだ」

ムーンドギーは一度、口を閉じた。

「……うまぐ、言えねぇや」

そう言って、苦笑いを浮かべた。

お前は愛すべきお馬鹿ちゃんなんだな、とホランドが言うと、ヒルダにも言われた、とムーンドギーが返した。


胸の蟠りが、消えた。心の奥底に根付いていたドロドロが、流された。

( 良かった。 )

本当に、良かった。



ムーンドギーの部屋の前まで来た。
部屋まで送ってくれたのだということに気づき、慌てて頭を下げるとホランドは、別に、と言った。

「こんな船の中じゃ、部屋まで送らなくても、危険なんてないけどな」

わざわざこっちまで来ると自分の部屋へは遠回りなのに、とムーンドギーは小さく笑った。

これが多分、この人の優しさなのだろう。不器用で、男らしい優しさなのだ。



ドアの前に立つと、シュンっという音をたててドアが開かれた。
部屋の中に入り、部屋へは入ろうとしないホランドと向き合う。

ホランドは嬉しそうにニコニコしている少年を見て、手を伸ばしかけた。

( こいつ、やっぱり…… )

頭を撫でたくなるんだよなぁ。

珍しく帽子を被っていないあの頭を、かき乱す程、撫で回したい。
レモン色の髪の触り心地を気が済むまで楽しみたい。


少年の頭へと伸びそうになる自分の腕を必死の思いで止め、ホランドは息を吐いた。

「お前、やっぱりさ、プリンとか食ってるの、似合うよ」

ホランドがそう言ったのを合図にしたかのように、ドアがシュンっと音をたてて閉じられた。



ドアの向こうに消えたホランドの顔が、なぜか眠りにつくまで、ムーンドギーの頭から離れなかった。








            つづく




中学生日記かい!っていうツッコミをしたくなる。