目が覚めた。

見覚えのある天井が見える。瞼が重い。

まだ、眠い。

ベッドの隅で寝返りをうつ。喉の奥から自然と、ぐずる声が漏れた。

「お早う、ムーンドギー」

朝っぱらだというのに、底抜けに明るい声と共にギジェットが部屋に入ってきた。

「ふんぅ……っ」

ブランケットを抱き枕のように抱えながら、目をギュっと瞑り、どこから出しているのか分からない声を漏らした。

「起きて起きて!朝だよー」

腕に枕を抱えたまま、もそもそと起きあがる。

「ハイハイ、枕にさよならして」

枕に顔を埋めて、そのまま数秒間静止し、ようやく枕を離した。

「さよならした?」

「……した」

普段よりも幾分低い声で返事をして頷いたムーンドギーの頭に出来た寝癖を、ギジェットはワシワシと撫でた。
柔らかい髪の感触が楽しくてそのまま撫でていると、ムーンドギーが頭を振ってその手を払いのけた。
払いのけられても、またムーンドギーの頭に手を伸ばし、髪を梳いた。

「やめで……」

起きあがった体勢のまま座っていたムーンドギーはようやく顔をあげて、ギジェットを苦い顔で見た。

「お早う、ドギー」

眩しい程の笑顔を、ムーンドギーに惜しげもなく向ける。

「おはよう、ギジェット」


朝がきた。








                         * * *








「アレ?」

昨晩浴び忘れたシャワーを浴びに風呂場に向かい、服を脱ぎ始めようとした時、ふと気がついた。
普段、必ず頭に被っているお気に入りの帽子が、ない。

「え、アレ、なんで、おかしいな」

どこかに落としたのだろうかと脱衣所の中を探すが、帽子はどこにもなかった。

( ……でも、部屋にあるよな。 )

まぁいいか、と頷いてから手早く服を脱ぎ始めた。



シャワーを浴び終えて部屋に戻った。
部屋にあるだろうと思っていた帽子は、ベッドの上にも、散らかった床の上にも、
グチャグチャのシーツの中にも、枕の下にも、部屋のどこにもなかった。




朝食を終えた後、一人で船内を歩き回った。昨日歩いた場所を隅から隅まで見て回る。
探している間中、ムーンドギーは何も喋らなかった。言いようのない不安に口を塞がれていた。

どんな物でも、物をなくすと、自分の一部をなくしてしまったようで、哀しくなる。
胸の奥の何かが 『哀しい』 『寂しい』 と泣きながら訴えてくる。

( 早く見つけなきゃ、オレ、どっか、なんか、なくなっちゃったままになる。 )


哀しいのに、寂しいのに、ムーンドギーの口元は微笑んでいた。

へそより拳一つ分くらい上のところが、痛む。
どんなことでも、少しでも不安を抱えると、嫌なことがあると、いつもここが痛くなる。

そんな自分が酷く情けなくて、声に出さずに低く、自分を嘲笑った。



風呂場、男子便所、廊下、キッチン、食料庫、倉庫、格納庫、購買部。

帽子はどこにもなかった。


( じゃあ、やっぱり――、 )


唇を指先でそっと撫でる。

不思議な感触。不思議な気持ち。


くるりと向きをかえて、ムーンドギーはホランドの部屋へ向かった。








昨日と同じようにドアの前で立ち止まる。

( 大丈夫……大丈夫……っ!いまの時間は、ホランドは、コクピットに居るハズ……っ )

今なら、ホランドと会わずに帽子を探すことが出来る。

昨夜は「嫌われているかもしれない」という問題が大き過ぎて『あのこと』は忘れていたが、
「嫌われているわけではない」という結論が出たいま、自分の中での大問題は、『あのこと』だった。

( わっがんねぇけど、なんかすっげぇ……胸が苦しい。 )

胸がモヤモヤする。

そういえば、いつだってこのモヤモヤは彼に関係しているように思える。
彼を見ると、彼と会話をすると、彼の側にいると、ドキドキして、顔が熱くなって、胸にモヤモヤが貯まっていく。

嫌いな人と一緒に居ると苛々してモヤモヤが貯まるけれど、それとは違う。
レントンが現れて自分の居場所を奪われたような気持ちだった時も、胸がモヤモヤしたけれど、それとも違う。


この ”気持ちの名前 ”が、わからない。


帽子がみつからなくて不安だ。この胸を締つける気持ちの名前がわからなくて、不安だ。
どちらもとても大切なものなのに、どちらも見つけることが出来ない。


( せっかぐ、嫌われでるわけじゃないっで、分かっだのに。嬉しいのに。 )


泣きたくなった。




「お前、何してんだ」

声に振り返ると、ホランドが立っていた。シャワーを浴びた直後のようで頬が赤く色づいている。

( なんで……、なんで!? いまは、いつもはっ、コクピットにいる時間なのに……っ )

口の中が渇いてきた。
彼の部屋のドアをノックしようとしていたことが、とても大きな罪のように感じられる。
悪いことは何もしていないのに、悪いことをしようとして見つかってしまったような気持ちだった。

「ムーンドギー?」

珍しくちゃんと名前を呼ばれて、心臓が飛び跳ねた。

「あのっ」

「うん?」

ホランドはまるで、子供を相手にしているような顔をしている。
機嫌が良いだけなのか、子供達と同レベルに思われているのか。今のムーンドギーには、わからなかった。

「あの、」

「 ”あの ” はもう聞いた。何だよ、用件を言えよ」

あ、また昨日みたいに、嫌われてるんじゃないかとか言うんじゃねぇだろうな。
付け足すようにそう言うホランドに、ムーンドギーが慌てて首を横に振った。

「帽子が――、帽子、が……」


( 顔が、見れね……っ )

心臓は相変わらずバクバクと音をたて続けて、頭も混乱している。


コクピットにいるはずの時間だから、まさか遭遇してしまうとは、少しも思っていなかった。
頭の中に、どうしようどうしようどうしよう、という警告音が鳴り響いている。

( 変に思われた。絶対、変だって、思われたっ! )


これ以上、この人を見ていられない。

顔が酷く、熱い。



肩にかけているタオルで頭の後ろをガシガシと拭きながら、ホランドは首を傾げた。

「帽子がどうかしたのか」

「昨日から、見つかんなくって」

「どっかに置き忘れたんじゃねぇのか」

「色んなとこ見てまわったんだけど」

ホランドは怪訝な顔をして、頭を拭いていた手を止めた。

「何で、おれの部屋に帽子があるかもって思ったんだ?」

昨日お前、おれの部屋に来てないよな?


胸の奥の何かが、パキンと音を立てて割れた。


唇を噛み締めて俯いた。

「――ムーンドギー?」

顔を覗き込もうとするホランドより先に、ムーンドギーが動いた。

「やっぱり、なんでもない、です」

頭痛を覚えながら、ムーンドギーは逃げるようにその場から走り去った。
残されたホランドはそんなムーンドギーの後ろ姿を、見えなくなるまで見つめていた。








ハップとストナーが2人して難しい顔をしていた。
うーんうーん、と呻り、腕を組んで、首を捻り、眉を寄せている。

小一時間ずっとそうしている2人に、マシューが恐る恐る声をかけた。

「ね、おたくらさ、さっきからなぁーにしてるわけ?」

声をかけられた瞬間、2人はマシューの方を勢い良く振り返った。
突然怖い顔の2人に睨まれたマシューは、ひぃぃぃぃぃ、という情けない声を出して後退った。

ハップが大きなため息を吐き出した。そしてハップの後ろでストナーも、ため息を吐く。

「決まらないんだ」

「……何が」

突然、決まらないんだ、と言われたところで、マシューには何のことだか分からない。

「だから、人が、だよ」

「は? 人?」

ますますわけが分からない。マシューも2人のように難しい顔をして眉間に皺を寄せた。

「もっとさぁ、分かりやすく言ってくんない? なぁーに言ってんのかさぁーっぱり分かんないんですけど」

今度はハップとストナーが2人同時にため息をついた。

「今度の『ray=out』をどうしようって話だよ」

「は? え? 何ソレ。いつも通りタルホのグラビアで良いじゃん」

「それじゃあ面白くないだろう」

ハップが重々しく言うその後ろでストナーも、うんうん、と頷く。

「へぇー……んじゃ、俺を表紙にしてもイイゾ☆」

マシューの提案を2人は間をあけることなく、いらん、と切って捨てた。

「どうしたもんかね」

マシューも加わり、3人で腕を組み首を傾げ、うんうんと呻る。

「毎号毎号、タルホばっかりだしなぁ。そろそろ俺も撮り飽きたっていうかゲフンゲフンッ」

「確かにそろそろタルホのグラビアにも飽きたよなぁゲフンゲフンッ」

「っていうかまぁタルホのグラビアがなきゃ売れないっていう問題もあるんだけどゲフンゲフンッ」

周囲にタルホが居ないことをキョロキョロと確認しながら、絶対に聞かれたくない会話を咳払いで誤魔化す。

「でもさぁー、タルホのグラビアじゃなけりゃあ、何にするってぇーの?」

マシューの間延びした言い方に、ストナーは脱力した。

「だーから、それをこうやって話し合ってんじゃねぇか」

「おたくは何を撮りたいのさ」

「そうだなぁ、……普段あんまり目立ってないもの、かな」

『タルホが巻頭の時』と『そうでない時』の売り上げ差額を計算していたハップが、そうだ、と顔をあげた。

「ヒルダとかどうだ?」

ハップの発言にマシューが慌てて反対する。

「ダメダメダメダメダメダメダメ!!絶対、ダメ!!!ハニーの巻頭グラビアなんてっ!俺が許しませんっ!!!」

鼻息を荒くするマシューに、別にグラビアじゃなくて良いんだけど、と呆れた様子で付け足す。

「ヒルダがダメならギジェットはどうだ」

「あー、ギジェットなぁ」

うんギジェットなら良いかも、と3人で頷きあう。
早速ハップが『タルホが巻頭の時』と『ギジェットの写真を使った時』の売り上げ差額を計算し始めた。


そこに、フラフラとムーンドギーが暗い顔をしながら通り過ぎた。
いつも被っている帽子がないせいで、普段隠れている髪が動くたびに揺れている。

ついつい3人は手を止めて口をポカンと開いたまま、ムーンドギーを目で追いかけた。


物憂げなため息。俯かれている青い瞳。それを飾る長い睫毛。薄く形の良い唇。しなやかな体躯。
ため息をついた時にチラリと見えた白い歯と赤い舌。柔らかいレモン色の髪がよく映える白い肌。

「お、おいっ!ムーンドギー!」

思わず、といった様子でストナーがムーンドギーの名前を呼んだ。
呼ばれて、ムーンドギーがゆっくりと振り返る。

「……なんですか……」

振り返ったその顔は、形の良い眉が見事な八の字を描いていた。目もかすかに潤んでいる。

「――なあ、ハップ……」

「……えっ!? あ、うん?」

自分同様に、ムーンドギーの意外な表情に目を奪われていたハップの肩を、ガシッと掴んだ。

「いける、いけるぞっ!」

「何が」

「こいつだ!こいつだよ!」

「だから」

「決めたっ!俺は、こいつを撮りたい!」

鼻息を荒くしながら興奮しているストナーをハップは何度も瞬きを繰り返しながら見つめた。
マシューも、お前よく見ると可愛い顔してんのなぁ、と誤魔化すように笑う。

突然呼び止められてそんなことを言われたムーンドギーは、わけがわからない、という顔をした。








午後になって、ムーンドギーはヒルダに呼ばれて何着もの服を着させられた。

「…………。」

「うーん、ちょっと違うなぁ」

「……違うって、なにが」

どこからかき集めてきたのか、大量の服がムーンドギーの目の前で山のようになっている。
女物の服もあればムーンドギーには大きすぎるサイズの服もある。多分、みんなが持っている服全てをかき集めたのだろう。

まだ5着ほどしか着ていないのに、もう疲れている。
なのにこれからこの目の前の服達を着ていかなければならないのかと思うと、重いため息が漏れた。

「ドギー、こっち着てみてくれる?」

「……はぁ」

まるで、着せ替え人形の気分だった。
幼い頃、何も考えずに人形遊びをしていた記憶があるが、あの人形もこんな気分だったのかもしれない。
何度も何度も着せ替えされては脱がされる。そしてまた着る。また脱ぐ。また別の服を着させられる。また脱ぐ。

( うわぁ、オレ、酷いことしちゃっでたんだぁ…… )

もし自分が着せ替え人形だったら、と考えると、目眩がしそうだった。

「ボーっとしてないの。ほら、まだいっぱいあるんだから」

ポイポイと投げ渡されるたくさんの洋服を腕いっぱいに抱えながら、ムーンドギーは泣きそうな顔をした。

「………ごめんな、ダニィ」

聞き慣れない名前にヒルダは首を傾げて、ダニィって誰よ? と問うた。

「ちっちゃい頃に遊んでた、着せ替え人形」

「あんた、男の子のくせにお人形さんで遊んでたの?」

「近所に男の子があんまり居なかったから、女の子と遊んでる方が多くって……」

「なんでそのお人形さんに、ごめんなさいしてるわけ?」

ダニィもこんな大変な思いをしてたんだなぁと思って、とムーンドギーが言うと、ヒルダは腹を抱えて笑い出した。

「あんたのいまの気分は着せ替え人形ってわけね」

笑いながらもヒルダはムーンドギーの腕に、さらに服を乗せていった。




「良いじゃない。すっごく良く似合うわよ」

ムーンドギーは、鏡に写る自分を、顔を歪めて眺めた。

「コレ、風船配ったりする、ウサギ……」

鏡ごしに、小脇に抱えた大きな兎の頭部と目があった。
ふと横を見ると、笑いを堪えきれずに吹き出しているヒルダが居る。

「……っ、ブッ……ブフッ」


遊ばれている。


「いやぁ、あんた、ほんと良く似合うわ」

「……嬉しくない」

大きな腹、大きなお尻、大きな腕、短い足。肥満体型になった気分だった。

「……全然、嬉しくない」

ムーンドギーの髪を軽くワックスでまとめて、前髪をピンでとめる。

「あら、あんたデコ出し似合うじゃない」

普段隠れている額が思い切り露出している。

「……なんでデコ出さなきゃダメなの」

前髪がないとどこか不安で、いつも隠している場所が露わになると何故かとても恥ずかしい。

「ソレ被るのに髪の毛そのままにしてたら、汗ですごいことになるからよ」

( ……被るんだ、やっぱ被らなきゃダメなんだ……。 )


「ねぇ、あんた、帽子は?」

ムーンドギーの服を簡単に畳んで机の上に置いたヒルダが、帽子に気がついた。

「やだ、あたし、他の服に混ぜちゃったのかな。ごめんね、いま探すから」

服の山を漁って帽子を探し始めたヒルダに、ムーンドギーは、違うよ、と言った。

「なくしちゃったんだ」

「なくしちゃったって、いつ?」

「多分、昨日」

「ちゃんと探したの?」

ムーンドギーはそれに何の返事もせずに、ただ黙って兎の頭部を被った。
暗い中で、外が見えるように開けられている二つの穴から、心配そうにしているヒルダを見た。


『昨日お前、おれの部屋に来てないよな?』


( うん。ホランド、オレ、あんたの部屋には行ってないよ―― )

兎の頭部の中は暗くて温かくて、少しだけ、哀しかった。




シュンッと軽い音がして、部屋のドアが開いた。ホランドが、入ってきた。

「撮影は明日に決まった。ストナーが、衣装が決まったら教えてくれって」


( あ。 )

ホランドと、目があった。

「…………。」

「…………。」

大きな頭を両手で支えながら、目線をずらす。しかし、首を傾げたホランドは、ズカズカとこちらへ歩いてきた。

「…………。」

「…………。」

着ぐるみの顔を、思いきり覗き込まれる。また急いで、大きな頭を両手で支えながら、目線をずらした。
すると目線をずらした方へ回り込み、顔を覗き込まれる。

「お前、誰だ?」

何も答えずに、大きな頭を両手で支えながら背中を向けると、ホランドは着ぐるみの頭部をグワシッと掴み、持ち上げようとした。

「……っ!!」

必死に、無言のまま、頭部を奪われないように両手で押さえる。
ホランドは引っ張る。ムーンドギーは押さえる。しばらくこの攻防戦が続いた。

「リーダー、リーダー。それ、ドギーよ」

呆れたヒルダが、着ぐるみの中身を教えると、ホランドは頭部から手を離した。

「は? なんで、着ぐるみなんか着てんだ?」

「あたしが着せたの。着る服も決まったし、倉庫にあったから」

大きな頭を両手で支えながら下を俯くムーンドギーを、ホランドは黙って見つめた。

「おい」

ムーンドギーは顔をあげない。

「なぁ、ドギー」

返事もしなかった。


着ぐるみの中で、暗い中で、ただひたすら、唇を噛み締めていた。


「恥ずかしいのよね」

本当にそう思って言っているヒルダの言葉に、ホランドも納得して頷いた。

「今度機会があったら、風船配りでもやるか?」

楽しそうなホランドの声に、大きな頭を両手で支えて、ようやく、小さく頷いた。



ホランドが出ていった後も、しばらく着ぐるみの頭部を被り続けていた。

「ドギー、もう脱いで良いのよ? それとも気に入っちゃった?」

ヒルダに声をかけられても、曖昧に返事をした。


( こういう時、帽子がないと…………顔が隠せなくて、困る。 )



脱げない事情があったのだ。








            つづく




ドギーに似合う服って何だろうって必死に考えた結果、ウサギの着ぐるみという結論に至りました。