頭に巻いていた包帯が取れた。ようやく、風呂に入っていいと女医に言われた。
上着を脱いで、上半身を点検しながら貼られた絆創膏や湿布を乱暴に剥がしていく。
頬に出来ていた擦り傷もいまではかさぶたになっている。右肩には治りかけの打撲傷。
風呂場に来るまでに、何人に顔を覗き込まれただろう。
口々に、大丈夫か、気を付けろよ、どこも痛くないか、と言う。
( うんざりだ。 )
苛々しながら靴を脱ぎ捨てる。
「…………、」
靴の片方が飛んだ先、脱衣所の入り口に、いまのムーンドギーにとっては『知らない人間』が立っていた。
「ぁ、あの」
腕に着替えを抱えている。ということは、風呂に入りに来たらしい。
茶色の髪をした少年は、喋りだそうとしたり、止めたり、笑おうとしたり、うまく笑えなくて止めたり、している。
「そこ、開けてられると寒いんだけど」
少年は急いで脱衣所の中へ入って扉を閉めた。居心地悪そうにもじもじしている。
脱ぎかけていたパンツと下着を一気に下ろす。
「……あの、」
俺も入っていいですか。
脱いだ服を脱衣カゴに乱暴に放りながら、どうぞお好きに、と返事をした。
広い湯船の中でも沈黙は続く。
少年は何度もムーンドギーを盗み見ては、目があうと急いで湯に視線を落とす。
舌打ちをすると、すみません、と小声で謝られた。それにもう一度、舌打ちをする。
「……傷、痛いですか」
「痛かったら何かしてくれんの?」
毎日質問されているその言葉は、いい加減聞き飽きた。
意地悪い返答に少年も他の皆と同じように黙りこくった。じゃあ最初から聞くなよ。また、舌打ち。
「お前、名前何だっけ」
「レントンです」
「変な名前」
「……そんなこと、ない、です」
「あぁそう」
レントンと名乗った少年は眉間にシワを寄せて、顔を半分だけ湯に沈めた。
「前のオレといまのオレ、どう違う?」
さらりと質問したハズなのに、レントンはザバっと湯から顔を出した。目を大きく開いている。
「なんだよ」
泣き出しそうな、でも、変なものを見るような、そんな顔。口を開けて、何かを言いたがっている。
「言ってみろよ」
「…………、」
「早く」
「お……れには……」
耳を澄ましてようやく聞き取れる、絞り出すような小さな声。
「いまのドギー兄さん、が、全然、違う人みたいに、感じ……ま、す……」
言い終わった後の少年は本当に泣き出しそうで、泣かれたらどうしようかと風呂場の天井を見上げた。
子供に泣かれるのは、辛い。
* * *
「これ、整備しといた、から」
「……ありがとう」
同い年くらいの少女に差し出されたボード。前のムーンドギーが使っていた物らしい。
「何か、懐かしいとか、思い出したりとか、しない?」
「このボードを見て?」
「そう」
期待に満ちた目で見つめられる。ムーンドギーが素直に、何も感じない、と言うと彼女の顔が悲しそうに歪んだ。
「この前教えたあたしの名前、覚えてる?」
「何だっけ」
「ギジェット、だよぅ」
目の前で静かに涙を堪えるギジェットの長い睫毛を見つめた。
名前なんてまたすぐ忘れてしまうのに。
最初の一週間はとにかく部屋から出なかった。
記憶喪失とやらになったと言われて、知らない人間に囲まれて、何度も同じ質問を繰り返されて、煩わしかった。
だから誰にも会いたくなくて部屋に籠もった。
部屋を訪れる知らない人間の、悲しい顔。
あぁもうほんと、すみませんね、何も覚えていなくて。そんな顔するならもう見るなよ、心配だってしなくていい。
て、言ったら。あの人達はどんな顔をするだろう。
失望? 落胆? それとも、怒るかな。こんなに心配してるのにその言いぐさは何だって。
だって本当は、いまの自分は、周囲の人達に涙を浮かべて感謝の言葉を繰り返すべきなのだから。
( もしいまオレが死んだとして、あの人達が悲しむのは “どっち”に対してだろう。 )
考えるまでもない答えに思わず笑いが込み上げたので、堪えることなく、笑った。
つづく
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