「フォーゲットミー、ナットブルー」

ソファでくつろいでいると帽子を被った少年がひたすら同じ言葉を繰り返しながら歩いてきた。 ここに来るのかと思ったがそうではないらしく、ブツブツと同じ言葉を呟きながら目の前を素通りして行く。 素通りする間、帽子を被った少年は一度もこちらを見なかった。それが何故か酷く不愉快に思えたので、持っていた新聞紙をテーブルの上に叩き付けた。

「フォーゲットミー」

わたしをわすれて。

少年が音に驚いてこちらを振り向いた。目が合い、それから音を生み出した新聞紙を見下ろしている。 違う、新聞紙ではなくて、おれを見ろ。
少年はまた呟き始めた。

「フォーゲットミーナットブルー、フォーゲットミーナットブルー」

少年がテーブルの上を見渡してから残念そうに眉で八の字を描いた。

「あのさ」

「フォーゲットミー、ナット、ブルー」

「それは分かったから」

おれが分かったところで少年には何の救いにもなりはしないのだろうけれど。
叩き付けた新聞紙をまた手に持つと、少年はようやくあの音はおれのせいだったのだということに気がついたらしく、少しばかり不快そうな顔をしてみせた。
少年のその顔に苛立ちが込み上げてきたが舌打ちもせずに無視をする。

「フォーゲットミーナット、ブルー」

同じ言葉を延々と繰り返す少年を下から見上げた。馬鹿じゃねえの? そう思った。

「お前それもう止めろ。止めないならどっか行け」

「フォーゲットミーナットブルー。……引き止めたのはあんただと、思うんだけど」

「ああハイそうですね引き止めて悪かったですじゃあさっさと消えてください」

「フォーゲットミーナットブルー」

付け足すように、酷ぇ、と言われた。酷い? おれが?

「ギジェットが、『ドギーの瞳の色って、フォーゲットミーナットブルー色だね』って」

だから? と返すと少年は少し黙ってから、忘れそうだから、と言った。

「じゃあ何かにメモでもしておけよ」

「フォーゲットミー、ナットブルー。そうしたいんだけど、さっきからメモ出来そうな紙もペンも、見つからなくて」

さっきの残念そうな顔は、メモ出来そうな紙とペンがなかったからだそうだ。

「じゃあどうすんだ、ずっとそのままなのか」

「……フォーゲットミーナットブルー」

忘れちまえよ、そんなもん。

「フォーゲットミーナットブルーって確か、勿忘草色だろ」

「そうなんだ、知らなかった。フォーゲットミーナットブルー」

話している間も少年の目は紙とペンを探している。

「なぁドギー」

「ん?」

「お前の目玉の色はな、おれの一番好きな色だ」

色の名前なんかより、そのことを忘れないようにしとけ。




それからしばらく黙ってから少年が少し口を尖らせて、

「あんたがそんなことを言うから、ほんとうにもう思い出せない」

だけど、

「あんたが言ったことは、忘れたくても忘れられない」

そう言って、少年は悔しそうに変な顔をしてみせた。
その変な顔がとても不細工で可愛かったから、少年の顔を引き寄せて、噛み付くようなキスをしてやった。




『無題ドキュメント』
忘れっぽい人と忘れさせる人。