「―― ホランド……」


ドアの向こうからタルホの声が聞こえる。

それは優しい、とても優しい声だった。





格納庫に広がる血の臭い。掃除をした時に、靴に付着した血。

耳を澄ました。ミーシャの靴音がしたら、すぐにでもここから離れられるように。
けれど彼女の靴音はまだ聞こえてこない。その他の人間も、近寄ってくる気配はまだない。

( もう少しだけ、もう少しだけ―― )

お気に入りのスニーカーにこびり付いている血。
バリバリに乾いている部分とまだヌルリと乾ききっていない部分がある。
この血の持ち主だった人のことは何も知らない。何も知らないから、靴と靴を擦りあわせてバリバリに乾いた血を落とした。血は、パサパサと床に散った。


この距離が、哀しい。

レントンのように、タルホのように、ホランドと接することは出来ない。
“ 役割 ”が、違うから。


哀しみが胸を刺す。

静かな廊下に自分の呼吸が静かに響く。ドアに背中を付けて座り込んでいる自分が酷く情けなく感じた。 こうしていたってどうにもならないのに。女々しい自分が嫌になる。

哀しい。しかし哀しみの側で涙を流すことは出来ない。

( オレは、タルホのように、側で見守ることも出来ねんだ……。 )



あんたのそばに今すぐ走って行きたいのに  触れることさえ叶わない。





組んだ腕の中に顔を埋めた。

( 海の底の、そのまた奥の―― )

水底をユラリユラリと這うように泳ぐ、深海魚になってしまいたい。

( そうすれば、 )

目が退化して、溢れ出ようとする涙をこんなにも必死に我慢しなくてすむのに。



せめてこれだけは許して欲しいと縋るように祈りながら、声に出さずに彼の名前を呼んだ。




『灰青の深海魚』
ホランドのもとに行きたいけれどそれは許されないことだと知ってるドギー。