<さり。さり。泡で覆った肌の上を刃物が滑る。
 顎の下に添えられた彼の左手。そっと刃物を扱う彼の右手。 いつもは穏やかな、今は眉を少し寄せて真剣な彼の顔。泡の中で僅かに感じる彼の良い匂い。
 さり。さり。刃物が肌の上の泡を奪っていく。

「少し、顔を右に倒してくれる」

「ん」

「ありがとう」

 近くなった左耳に彼の吐息の音が聞こえる。吸って、吐いて、少し止めて、また吸って。

「なに、笑ってるの」

 目だけで彼を見ると、真剣な顔も手の力加減も変わらず、刃先だけを見ていた。

「好きだなぁと思って」

「なに言ってんの……」

 少しの動揺が声に混ざったのが分かる。堪えきれず口角が上がる。すると、唇の端にほんの少しの痛みを感じた。 それと同時に左耳へ、彼のまるで飲むような声が飛び込んだ。

「いて」

「ごめん。大丈夫?」

「全然平気。こんなん舐めときゃすぐ治んべ」

「舐めるなら泡落としてから舐めてね」

 彼の顔が近くなる。傷口を見ているらしい。

「良かった。薄皮一枚切れただけみたい」

「だから大したことねーって」

「……急に変なこと言ったり、笑ったりするから」

「だめでしたか」

「いいえとんでも御座いません。誠に申し訳ありませんでしたお客様」

「いんや、苦しゅうないぞ、続けよ」

「ばか」

 また肌の上を刃物が滑る。先程までよりもさらに弱い力加減で、泡を奪う。

「あんさぁ」

「だから駄目だって、急に喋ったら。危ないよ」

「後で、全部終わったら」

「聞いてないんだね」

「ちゅーしてくんない」

 彼は黙って、作業に戻った。 左のこめかみに添えられた彼の右手。右頬を刃物で撫でる彼の右手。 いつもは輝くような、今はため息をつくように笑う彼の顔。残りの泡の中で吸い込む彼の良い匂い。

「後で、全部終わったらね」

 さり。さり。刃物が肌の上の残り僅かな泡を奪っていく。
 あと少しで終わる、この優しい時間を味わうために静かに目を閉じた。



『滑らかな関係』
現代版でサロンの若店長斉藤くんとお客さん兼恋人の与四郎。