初めて見た時、まるで、つやりと光る麦穂のようだと文次郎は思った。

手を伸せば、触れたら、指を通して、梳いてみたら。どんな感触がするだろうか。
彼の頭皮の温度は、ぐしゃぐしゃにかき混ぜた時の指通りは、 長い前髪が触れている顎は、後ろ髪がつたう首筋は、どんな触り心地だろう。 彼の匂いを嗅ぎたい。彼の身体を味わいたい。彼を知りたい。

「!」

飛び起きて、文次郎は自分が汗をかいていることに気が付いた。
いまみた夢を恐る恐る思い返そうとしたところで、うるさいぞ、 という不機嫌な声が飛んできて、情けないほど肩が跳ね上がった。

「なあ、仙蔵」

衝立の向こうから、仙蔵の寝返りをする音がきこえる。 それから面倒くさそうに、なんだ、と言った。

「…………。」
「用がないなら呼ぶな」
「夢で見るものを、どう思う」
「は?」
「……あれは、一体……」
「なんだ、よく聞こえない」

仙蔵は布団からのそりと起きあがり、衝立から顔を出した。
暗闇の中で、文次郎は布団に正座をして俯いていた。

「どういうことだ?」
「俺は……」
「おい」
「いや、いい。何でもない」
「は?」
「忘れろ。起こして悪かった」
「ちょっと待て、こら、文次郎!」

文次郎は布団の中に戻り、頭まで掛け布団を被った。
何度仙蔵に呼ばれようとそれから朝まで顔を出すことはなかった。

幻だ。

念じるように繰り返し呟いた言葉は、誰にも聞かれず布団に吸われて消えた。

 * * * 

「ちゃんと説明しろ」
「忘れろ」
「おい!」
「忘れろ」

文次郎と仙蔵が朝と同じ問答を繰り返しながら廊下を歩いていると、 向こうから斉藤タカ丸がやってきた。一仕事終えてきたのだろう。 手には髪結い道具を大事そうに抱えている。
何故だろう、彼の髪が突然、誰よりも美しく見えた。 サラスト1位が横にいるというのに、その仙蔵よりももっとずっと綺麗に思える。
目があう。柔らかな唇が微笑んだ。身体の熱が、少しずつ上がっていく。

「おやぁ。立花先輩、潮江先輩、こんにちはぁ」
「あぁ、こんにちは」
「……おう」

仙蔵とタカ丸が楽しげに話す横で、文次郎は口を閉ざして、 話に加わっているふりをする。暫くして、 堪えきれずこの場から離れようとしたところで、名前を呼ばれた。

「潮江先輩も、髪の手入れをする時は呼んでくださいね」
「……手入れなんて、しない」
「そんな事言わないで。あ、髪の手入れじゃない時にも呼んでください」

何故。そう言ったのどが、異様に渇く。

「何故、かぁ。 ええと、話しがしたいから、かなぁ。潮江先輩と」

首を横にかくりと倒して、独特の笑みを浮かべた。にじみでるような笑みだった。

( 嗚呼、夢と、違う。 )

自分が今、ホッとしたのかがっかりしたのか、文次郎には分からなかった。
けれど手は自然と、夢と同じように彼の片側の髪に触れて、指が頬を撫でた。
夢で触れた時よりもずっと柔らかく温かい。

「文次郎?」

仙蔵に呼ばれて我に返った。タカ丸からそっと手を離す。

「何かついてましたか」

自分も髪に手を伸すタカ丸に、埃をとったのだ、と嘘をついた。

タカ丸と別れ、仙蔵とも別れてから、文次郎は委員会に参加した。
いつも通り、部屋に算盤のパチンパチンという音がうるさく響く。
算盤をいくら弾いても、上がった熱は、その音と共に消えることはなかった。

( 何もかも、全て。 )

夢でも幻でもない、現なのだ。


09/1/31 ヤマネ



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「喜八郎ひどいや、どうして教えてくれなかったの?」

 食堂には、四年生の面々が顔を揃えて食事をとっていた。一つの机に盆を寄せ合い随分と時間の外した昼食、いや朝食に箸を通わせる。 深夜から軽く校外に出る実習を終えてきた所だった。日も昇りきった時間に学園まで帰ってきて、風呂に入り、今に至る。 丁度時間が揃ったのだからと、家が髪結いである斉藤タカ丸を言い出しっぺに皆で髪を乾かし合って、斉藤はその時の事を思い返しながら、向かいに席を取る綾部に問うた。
 溺愛する斉藤にひどい、だなんて心外な非難をされ、里芋に箸を指したままの体制で綾部は硬直してしまった。すると綾部の代わりに事情を問うたのは彼の隣に座る平滝夜叉丸。

「何の事です、タカ丸さん」
「さっき、廊下で、髪に埃がついてたって取って貰ったの。そんなの知らずに長屋を歩き回ってたから、みっともなかっただろうなって」

 風呂上り、斉藤の髪を率先して櫛梳ったのは綾部で、綾部は普段より斉藤の事を大層気に入り懐いていたものだから気を許す相手だと思っていたのに。 いじわるさんだなぁ、と斉藤は唇を尖らせた。けれども平と田村はその話にふと首を傾げ、里芋に刺した箸をぐりぐりしながら綾部はきっぱりとそれを否定した。

「ありえません。タカ丸さんの髪を梳くのに、私が塵ひとつ逃す筈がありません。それにタカ丸さんが仮に埃まみれで歩いていたってみっとも無い事なんてありません寧ろ一つの萌えとして」
「喜八郎、話がズレ始めたぞ」

 ずずい、と身を乗り出して主張を脱線し始めた綾部を平が嗜めて、けれども確かに、と級友に同意を示す。

「私達も斉藤さんにそんな目立つような埃がついていたのを見ていませんし」
「そうです、滝夜叉丸の目が節穴だったとしても、この田村三木ヱ門が見逃していた筈がありません」
「何だと貴様」
「貴様とは何だ」
「うーん、そっかぁ」

 そうして食卓が賑やかになるのを傍目に斉藤は首を傾げた。埃がついていたと、潮江先輩は言ったのだけれど。 おもむろに伸ばされた手に内心動揺したのも束の間、乾いた唇が告げたその訳に恥は一気に種別を変えた。 思わず気にとめてしまうような汚れを乗せてあの人に挨拶をしたのだろうかと思うと己の愛想の良さも呪いたくなってくる。 その直前には風呂にも入り、友人らと身づくろいをしたのだから、そんな事を思いもよらなかっただけに一層と。
 それだからついその友人に恨み言を吐いてしまったのだけれど、どうやらこの様子では自分の思い違いのようで斉藤には疑問が残る。 では一体何故だろうか?長屋に居る間、そんなに埃っぽい場所を通った覚えはないのだけれど。

 後に考えられるのは埃などついていなかったと言う事だが、そうすると潮江の言う事が嘘だったと言う事にもなりそちらの方が更なる不思議を呼びそうだった。そんな嘘をついて、潮江に何の利があると言うのだろう。埃がついていましたよ、なんて、下手な言い訳みたいな事を。言い訳?

 そこで斉藤は何かに気づき、盆から顔を上げると唇を噛んだ。いけません、とすかさずそれを嗜めたのは綾部。

「唇を噛む癖はいけません。そのまま穴にでも落ちたら噛み切ってしまいます」
「「お前が言うのか、それを」」

 わいわいと己の美徳を言い争っていた平と田村が思わず同時に綾部に突っ込み、今度はそれに真似をするなと互いに向きまた言い争いを始めた。そんな二人は端から無視して、何を堪えるんです、と綾部は斉藤に問うて、身を乗り出したまま斉藤の下唇に触れる。
 それに解されるように斉藤は唇を離し、しかしするとやはり口元は自然に笑みを形どるのだ。おや、と綾部が目を丸くした。斉藤は慌てて掌で口元を隠すのだけれど、もしかしたら、と言う発想から湧く嬉しさを抑える術を知らない。

「何でも無いんだ。何でも」

 不思議そうに見つめる綾部に、斉藤は仕切りにそう言い募るしか無かった。





(言い訳だとすれば、それは果たして何を誤魔化す為のものだと言うの)


09/02/07 nezumi様(frangible bullet)



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 人差し指にあの時の感触が未だに残っている気がして、刮げ落とそうと親指でがりりとひっかいた。 どうにかしようとすればする程、どうにもならなくなる。
 文次郎はもう癖になりつつある仕草で、また親指で人差し指に深く爪をたてた。

「何だか最近ますます文次郎の隈が酷い、ような気がする」
「ああ、俺もそう思う」
「私もそんな気がしなくもない気がする!」
「こへ、つまりどっちなの」
「分からん!」
「長次、そこの醤油とってくれ」
「そういえば、今日四年生が実習から帰ってくるな」
「もう帰ってきたらしいよ」
「っ!……って、おい小平太!さり気なく人のおかずを盗むな、返せ!」
「もう食べちゃった、ホラ」

 ぱかんと口を開けて見せる小平太に今にも怒鳴りだしそうな文次郎を、まぁまぁと伊作がなだめて、 油断してるお前が悪いんだと留三郎が茶々を入れ、我関せずと黙々と食事をすすめる長次の横で、 それらを見ていた仙蔵がお茶を一口飲んでから、にやりと笑った。なあ、文次郎。

「恋でもしたか」

 仙蔵の一言に全員がぴたりと動きを止めた。
それから文次郎以外の全員が同時に、それはない、と口を揃えて言った。
 文次郎は、咄嗟に爪痕だらけの指を隠す為に拳を作った自分に気が付いた。
固まった身体を無理矢理動かして昼食の残りをかき込み、逃げるように食堂から出た。

 * * *

 部屋で教科書を開いてみたが、内容が一行も頭に入ってこない。
 何故だか首から上が熱い。まるで町娘のようではないか。また指に爪をたてた。 爪痕が増える度、痛みが増す度、自分は情けなくなっていく。
 何故自分はあんな夢を見たのだろう。目を瞑ればすぐにでも思い出せる程、 夢の中の彼は強烈な艶めかしさで文次郎の理性を溶かした。 自分は彼をどうこうしたいと考えているのか。いいや違う、自分は彼のことをまるで知らないのだ。 では一体、何故。考えれば考えただけ分からなくなる。
 身体を思いきり畳の上へ投げ出したその時、廊下から足音が聞こえてきた。 それはやがて文次郎達の部屋の前で止まり、それから、声がした。

「ごめんくださーい」

 斉藤タカ丸だ。

「先輩、潮江せんぱーい」

 慌てて身体を起こし、駆け寄る。 思い切り障子を開け放つと、 驚いて目を丸く見開いたタカ丸が居た。珍しく何も持っていない。

「あの」
「何だ、何か用か」

 文次郎はよく、怒っているのかと問われることがある。機嫌の良い時でもその質問をうけた事がある。 後輩曰く、怒っているように聞こえる喋り方をしているらしい。今も、咄嗟に出た文次郎の言葉に、 タカ丸は怯えたように首を竦めた。違う。怯えさせたいわけではない。駄目だ。これでは駄目だ。

「どうした、仙蔵に用があるのか」

 優しく。丁寧に。ゆっくり。すると、タカ丸は肩の力を抜いていつものようにふにゃりと笑った。 つられて、文次郎の肩の力も抜けていく。

「少し前に、実習から戻ってきたんです。朝までかかっちゃいました」
「そうか」
「他のみんなはお風呂入ってご飯食べて、今眠ってるんです」

 タカ丸の目が部屋の中に何かを捜すように動いた。

「……仙蔵に用があるなら、あいつは食堂に居るぞ」

 背を向けて部屋に戻ろうとした文次郎の袖をタカ丸の細い指がつかんだ。

「違うよ、待って」

 俺ね、先輩に……、潮江くんと話したいことがあるんだよ。
 袖を掴む指先に、力が込められた。

 * * *

「それで、俺は何故髪をいじられているんだ?」
「いやぁ、とりあえずこれはやっておかなくちゃなぁと思って」

 文次郎の背後で膝立ちになり、丁寧に櫛を通して時折鋏で毛先を切る。
 タカ丸が動くたびに良い匂いがして、いちいち文次郎の心を擽る。

「…………。」
「……!」

 タカ丸の鋏が文次郎の首筋に音もなく添えられて、文次郎は咄嗟にタカ丸を押し倒した。 凶器の鋏を手ごと掴み、そのまま頭の上に押さえつける。左の二の腕も動かせないように床に押し付けた。 畳に頭を打ち付けたタカ丸は痛みに少し呻いた。

「ごめんね、冷たかったかな」
「お前、何のつもりだ!」
「俺、思い出したんだ」
「……何を」
「お店の姉さん方から教わった、愛しい人へ触れる方法」
「……へぇ、そりゃ随分物騒なやり方だな」
「違うよ。今のじゃない」
「それなら何だってんだ」
「だってああでもしなきゃ、潮江くんはちゃんと触れてくれないもん」

 タカ丸は下から左手を伸していつかの仕草を真似るように、目の前の頬を撫でた。

「埃ついてた」

 なぁんてね。

「……お前」

 押さえる力が弱まり自由になった手で、文次郎の頬をそっと包む。

「あの時、どうして嘘ついたの」

 文次郎は動けなかった。今はただタカ丸の手の温もりを感じることしか出来ない。 目はタカ丸の猫のような口元をじっと見つめていた。

「色々知りたいことあるんだ」

 考えてること、好きなこと嫌いなこと、好みの髪型とか、埃のとり方とか、 それをどこで誰に教わったのかなぁとか。俺のことどう思ってるか、とか。

「教えてくれる?」

 文次郎の口の端を、タカ丸の指が少しばかり責めるように擦った。

「ねえ。先輩の口から聞きたいよ」

 返事の代わりに、爪痕だらけの指で首筋に流れる髪を撫でた。 すると自然と身体が強張り、もう慣れた動きで親指が人差し指に食い込む。 その親指をタカ丸が掴んだ。

「……俺も」
「うん?」
「俺も、知りたいことが、ある」
「うん」
「お前のこと、全部」
「うん」
「教えてくれるか」

 押し倒した体勢のままタカ丸の首筋に鼻を寄せる。

「……俺もお前の口から聞きたい」
「教えるよ。全部教えるよ」

 文次郎の背中に腕をまわしながら、タカ丸が嬉しそうに囁いた。


09/2/14 ヤマネ



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 柔らかい。そんな思いばかりが胸に渦巻いてきては堪らずにそれを斉藤へとぶつけるのだ。これがどうにか伝わらないかと他に成す術も無かったから。

 暮れ行く日が障子紙を透けて斉藤の肌の陰影を濃くしてゆく。うんうん、と搾り出す音が反らされた首を通り抜けて斉藤の鼻の頭から発せられている。ここは勉学に勤しみ、就寝を委ね、同窓の者と互いに節度を持ち尊重し合う共同生活の重ねられてきた部屋である。他はどうだか知れたものではないが少なくとも同じ六年い組である立花仙蔵と分け合うこの部屋は素っ気も無い禁欲的な帳で覆われていた筈だったのに。

 今はただどうしようもなく淫猥なもの達が満ち満ちて、潮江の頭の中はその別世界に痺れ切って上手く回らなかった。最中に一度、この部屋を訪れる者、恐らくはもう一人の部屋の主である立花が帰ってきた気配を感じたのだが、潮江には己の手でこの情事を止める事が出来なかった。日もある内からこの様なふしだらな行為に耽って居るとは忍者どころか良識ある者の風上にも置けぬのに、立花は寸での先で察したら、何も言わずに廊下を引き返して行った。
 斉藤の正気の薄まった両眼からはとろとろと涙が垂れて居て、潮江が腰を打ちつける度に呻きを上げる。気を遣っているつもりではあるが辛いのだろうか彼は下唇を噛み締めて何かを堪えるようである。潮江は斉藤の頭の両脇に手を突いて、艶を返す髪の掛かる耳に噛み付いた。斉藤はその刺激にふわ、と思わず一際声を上げて肩を震わせるのに、潮江は気を良くして更に熱を持ち出した耳たぶに歯を立て、舐め上げる。その中で、丸で甘えるような声しか出て来なかったけれども、やめとけよ、と潮江が言った。うん、と斉藤には何の事か分からず、語尾を上げて聞き返した。
 すると潮江は顔を上げ、充血して赤く腫れた斉藤の唇を、この事を言っているのだと教えるように啄ばんだ。

「唇を噛むのは、危ねぇ癖だ」

 それは、つい先ほど誰かにも言われた気がする。斉藤はそこまでを理解する事が出来たが、それ以上の事にはどうにも、その他の事で頭が一杯で思い出せなかった。ただもう一度接吻けの温度を譲って欲しくて、うんうんと頷きながら潮江の首に腕を絡めて舌を伸ばした。
 
 本当に微か、頭の隅に残っていた冷静の中で潮江は一つ、立花に大きな借りが出来た事だけを思って、その事についてはもうそれで終い。気分はただ爽快なのだ。

 心中には午前の憂鬱を尽く覆す思いが浮かんでくる。

( 嗚呼、夢と、同じ。 )

 柔らかな身体と抱き合っている。

( 何もかも、全て。 )

 温もりは、

 夢でも幻でもない、現なのだ。


09/02/19 nezumi様(frangible bullet)



mat7:7 求めよ、さらば与えられん。






frangible bulletのnezumiさんとの、まさかの文タカ合作です。ヒャッホォォイ!!!何だかもう涙で画面が見えません。
nezumiさんの文タカ本に心臓鷲掴みにされて、調子にのって書いてしまった文タカに、なんと続きを書いてくださって!
その続きをまたヤマネが調子にのって書いてみたりしたら…nezumiさんがまたも神展開の続きを付けてくださいました。
本当に尊敬してずっと大好きだった方とこうしてコラボさせて頂けるなんて…!

この連作のタイトルもnezumiさんに無理を言ってお願いして付けて頂きました。
聖書のマタイによる福音書の7章7行、の有名な一文だそうです。
文タカの雰囲気にぴったりで、nezumiさんにお願いして本当に良かった!

nezumiさんのお書きになるタカ丸のじわりとくる色気と文次郎の格好良い男臭さがたまりません!とここでこっそり告白。
幸せな体験をさせてくださって本当にありがとうございました!大好きです!大っ好きです!
そんなnezumiさんの素敵HPはこちらからどうぞ。
nezumi様 FB