|
斉藤タカ丸に耳が生えて斉藤タカ丸から耳が消えた。 前者は獣の、まるで猫のような。後者は人間の、いつも斉藤についていたもの。 斉藤は耳を器用にそして得意気に動かしてみせながら、ほらね動くんだよぉー、なんて言っている。 何故驚かないのか不思議に思っていると、相変わらず頭の上に新しく生えた両耳を小刻みに動かしながら、 驚きよりも今までの耳がなくなっちゃった寂しさの方が大きいんだ、と言った。 だって潮江くんが、形がいいなって褒めてくれた耳だからね。 俺がよく触っていた、形が良いなと褒めた覚えのあるこいつの耳はもうどこにもなかった。 斉藤の新しい耳はとにかく性能が良かった。どんな遠くの音でも、どんな小さな音でも斉藤の耳は聞き逃さなかった。 この耳のおかげで何だか凄い忍者になれた気分だよ。 そんなことを同じ学年の綾部喜八郎に話しているのが、委員会室への移動の時に偶然目に入った。 「耳だけ、ですか?」 「うん、耳だけだよ」 「……タカ丸さん」 「はい、何でしょう」 「僕は尻尾もいいと思います」 「え? あ、うん、でも、もし尻尾が生えたら、邪魔じゃないかなぁ」 「そんなことありません!可愛いです!見たいです!」 「そっかぁ。じゃあもし生えてきたら一番に喜八郎くんに見せるね!」 「あ、肉球も欲しいです。頑張ってください。見たいです」 「え!? あ、うん、えぇと……」 聞かなきゃ良かった。 そんな会話を聞いてしまったせいか、その日の夢はとても嫌なものだった。 斉藤の鼻が変化し、その周りに猫の髭、手には肉球(綾部が喜ぶ)と細長い爪、 身体が縮み、全身が獣の毛に覆われ、尻には少し短い尻尾(綾部が喜ぶ)。 一連の変化を見守ってから、恐る恐る声をかけると、 斉藤だった(!)猫は嬉しそうに身体を俺の足に擦りつけながら、ふにゃあん、と鳴いた。 翌日、起きてすぐ斉藤の部屋へ走った。 斉藤の寝間着を剥いて確かめたところ、耳以外は、ちゃんと見覚えのある斉藤の身体だった。 それから、着替えも髪も放ってきた俺を何事かと見ている斉藤に夢の話を全て話した。 斉藤は腹を抱えて笑ってから、潮江くんたらおバカさん、と言った。 人間はそう簡単に猫になったりしないよ、と笑うのにあわせて揺れる耳が、愉快そうに俺を見下ろしている。 人間はそう簡単に猫になったりしないよ。そう言った日から何日かたって、斉藤の耳がおかしくなった。 音を拾いすぎてしまうのだ。どんなに小さい音でもどんな遠くの音でも聞こえてしまうのは前からだったが、 それが増して、今では遠くで誰かが廊下を歩く音さえ斉藤には騒音になった。 なるべく斉藤が近くにいる時は物音をたてないように、喋る時もとにかく小声で。そうしていても、 斉藤の顔は日に日に曇り、あの穏やかな性格が嘘だったのように荒んでいった。 頭巾を被って耳を塞いでも、頭巾と耳の間に折り畳んだ手拭いを挟んでも、その上から手で押さえても、耳は音を拾い続け斉藤を苦しめた。 次第に部屋から出てこなくなった。部屋の隅で布団を何枚も被って、壁に背中を擦りつける。 そんなことをしてもこれ以上どこにも行けないのに。 見かねた伊作が、気休めだけど、と言って頭痛薬と気持ちを楽にさせる薬をくれた。 「煩いよ、潮江君、頼むから静かにしてよ」 薬を持って部屋に入るなり鋭い声が飛んできた。あの斉藤でもこんな声が出せるのか、と変に感動した。 「薬を、持ってきたんだ」 「何の薬」 「頭痛薬と、気持ちが楽になる薬だそうだ。伊作が作った」 「効くの、それ」 「……効くさ」 のそり、と斉藤が何枚もの布団から顔を出した。久しぶりに見た斉藤の顔はまるで別人のようだった。 「綾部が、酷く心配していた。久々知も、火薬委員会の後輩も、みんな」 「連れてこないでよ、みんな、煩いから」 「顔を見せるだけでも」 「嫌だ」 「斉藤、」 「嫌だって言ってるだろ!」 斉藤は声を荒げて、手近の枕を俺に思いきり投げつけた。 運悪く水と薬をのせた盆に枕が当たり、床に落ちた音が斉藤の耳に鋭く響いた、らしい。 斉藤が呻いた。 「もう出ていけよ。煩い。煩いんだ」 身体を思いきり縮ませ、頭を抱える。小さく、うるさい、うるさい、と呟きながら。 「斉藤」 「……呼ばないで」 「斉藤」 「呼ばないで……っ」 足音をたてずに近付き、身体を小さくして布団に埋まる斉藤を、布団の上から抱いた。 暴れなかったので、布団の中に静かにそっと手を入れて、斉藤の手の上に重ねて耳を塞いだ。 斉藤はもう口癖になってしまったのだろう、うるさい、を繰り返し呟いていた。 随分してから、斉藤がとても小さな声で何かを言った。うるさい、ではない。俺の名前だった。 しおえくん、しおえくん、潮江くん。泣いているような声だった。 「おう、どうした」 「ありがとう」 耳、塞いでくれて。俺の手の下の斉藤の手が、僅かに動いた。 「大したことじゃない」 「もう行って」 「嫌だ」 「俺のこと嫌いになったでしょう」 だからもう行って。 「なぁ、斉藤」 「…………。」 「何枚も布団を被っていて暑くないか、水飲むか」 「……大丈夫」 「そうか、良かった。何かあったら言えよ」 「……潮江くん」 「うん?」 「ありがとう……」 布団の下で重ねた手、俺の指に、斉藤の指がほんの少し絡んだ。 「俺は、」 その手ごと掴んで握る。 「お前が猫になったら、食満に頼んで、お前の寝床になる箱を作ってもらう。 俺の部屋のどの位置が良いか、考えておけよ」 「……人間はそう簡単に、」 「もしこのままだったら、俺もずっとこうしている。お前の耳を塞いでいる」 「両手が塞がっていたら、不便だよ」 「足を使う」 「お行儀悪いよ」 「俺とお前しか居ないんだ、誰も見ないから、いい」 「……忍者は、手、必要だよ」 「そうだな」 「だめだよ、潮江くんは、立派な忍者になるんだもん」 「そうだな」 「潮江くん、しおえくん」 「おう」 囁きよりももっと小さな声で、斉藤が言った。 枕もとに置いて。それで、寝る時だけは、一緒に居て。 布団の下で斉藤が泣いている。猫の鳴き声のような泣き声だった。 * * * 「それで、どうしたの」 「そこで起きた。だから、この先のことは分からん」 「えー。二度寝したら続き見れたかなぁ」 「お前、にゃーって言ってみろ」 「えぇ?」 「にゃーって。ほら」 「にゃ、にゃーぁ」 「もっとちゃんと」 「にゃーあぅ」 「……違うな」 「潮江くんて、ちょっとだけおバカさんだよね」 やることもやって、さぁ寝ようという時に。寝物語として、先日見たおかしな夢を話して聞かせた。 斉藤は腹を抱えて笑い、人間はそう簡単に猫になったりしないよ、と夢と同じ言葉を言った。 それから、俺の手を取って自分の耳を触らせた。いつも通りの、形がいいと褒めた覚えるのあるものだった。 「ほら、いつもの俺の耳」 「…………。」 「いた、いただだだだだだっ、引っ張らないでっ」 「本物だな」 「当たり前だよ」 赤くなった耳をさすって、斉藤がえへへと笑った。 「どうした」 「ありがとう、潮江くん、ありがとう、一緒に居てくれて」 もし潮江くんが動物になったら、その時は、毛を綺麗に整えてあげるからね。 言いながら俺の髪に指を絡ませた。 夢のせいか、それから俺は枕元に何も置かなくなった。 だってここは寝床になるはずだった場所なんだ。 ふと気が付くとそこを撫でている俺を見るたびに斉藤が困ったように、 しかし楽しそうにまるで猫のように笑う。 「潮江くんたら、おばかさん」 お前が人でも猫でも、どちらでも、俺はお前と一緒に居たい。 『ねこみみ話』 バカは私だ。しかし、書いていてとても楽しかったことは否めない。 文タカがもっと広がることを願って、文タカをお好きな人たちにこっそり捧げます。 08/4/13 |