掘ったばかりの穴に腰を下ろした。尻と背中がすっぽりと収まる、丁度良い大きさだった。 我ながら良い出来だと思う。穴からはみ出た足をだらんと伸ばして、空を見上げる。 未だ溶けずに残っている雪が冷たい。鋤子ちゃんを握っていた指が悴んで、うまく手から離せないでいる。 空は真っ暗で、小さな星達がちらりきらりと輝いている。 私の吐く息でそれが一瞬だけ覆い隠れ、やがてまた煌めく。中途半端な丸さの月が夜を飾っている。良い夜だ。

さくりさくりと雪と土を踏む音がする。この音は、あの人だ。

「立花先輩、こんばんは」

「こんばんは。またお前は、何をしているんだ。風邪をひくぞ」

「先輩、やっと立花先輩の足音が分かりました」

「そうかい、とうとう分かってしまったか。お前はやはり耳が良いね」

切れ長の瞳が細くなって、寒さで少し青い唇が笑みを浮かべた。褒められたんだ。
寒くはないか。寒いです。そうかい。何で聞いたんですか。寒いからだよ。そうですか。

私が尻と背中を収めている場所の横に、立花先輩があぐらをかいて座った。冷たいな、と文句を言っている。

首も土に預けて、だらしなく空を見上げる。綺麗な、良い夜だ。 視界に立花先輩の髪が少し見えて、それを追いかけるといつもよりもずっと白く見える横顔があった。 雪みたいな人だなぁと思った。でも雪は火薬が好きではないと思うから、やっぱり違う。

「先輩は雪だけど火薬が好きだから雪ではないのですね、難しいです」

「そうかい」

立花先輩はあぐらの足に頬杖をついて、少し低いところに居る私をちらりと見た。そしてすぐに逸らした。

「一度お前の目で見てみたいよ」

「何をです」

「何もかも」

「刳り抜かれたら困ります」

「ははは、そんなことしないよ」

手近の雪を一掴み、顔にかけられた。顔と、それから雪が入り込んだ襟元が冷たい。 少し口にも入ったけれど、それはすぐに水になったのでそのまま飲んだ。

「酷い」

「寒くはないかい」

「寒いです」

「そうかい」

くっくと喉で笑う先輩の声。何だか見たことのない立花先輩のように感じられた。 しかし普段私がよく見る立花先輩が本当の立花先輩なのかは私には分からないから、 今の立花先輩がどんな立花先輩なのか、分からなかった。だから黙って、今横に座っている立花先輩の横顔と夜空を見上げた。

暫く沈黙が続いて、先輩が姿勢を変えた。両膝を抱えて、そこに顎を乗せている。
本当だよ、と言った。

「本当だよ。お前の目で何もかもを見てみたい。 きっと私の見る景色とは異なるのだろうお前の景色を、私も見てみたい」

立花先輩がこちらを見て笑った。先輩の肩からこぼれてきた髪を悴んで震える指で捕まえた。 月の光を受けて、妖艶に輝いている。

「……私の世界は、難しいです。私一人では分からないことだらけの世界です。 でも、先輩の世界は、もっと難しそうですね」

笑っていた先輩の顔が少し変わった、気がする。 今の先輩の顔は月を背にしているから逆光で見えない。

「先輩は自分の世界がよく分かっているのですね。だから他人の世界も知りたくなるんだ。 私もいつか覗いてみたいです、先輩の世界。きっと、何だかいつも水の匂いがしていそう」

髪を辿っていって、先輩の首筋へ手を伸ばした。冷たい。けれどちゃんと脈を打っていて、不思議だ。 立花先輩は私の手を避けず嫌がらず、好きなようにさせてくれた。

「……お前の世界は、いつも地面を掘っているから、土の匂いがしそうだな」

「どうだろう。どうでしょう、私、どんな匂いですか。臭いのは嫌だな」

少し間があってから、先輩が吹き出した。夜に響く、良い声だった。 先輩が笑っている間、どうすれば目を刳り抜かないでも先輩に自分の世界を見せられるのか考えた。

「お前には負けるよ」

声に笑いを含んだまま、先輩はすっくと立ち上がった。
同時に何か良い匂いのするものが身体の上に降ってくる。

「どうせ、まだここに居るのだろう? 使いなさい。くれぐれも汚さないように」

上掛けだった。どこに隠し持っていたのか。多分、懐かな。とても温かいし、先輩の良い匂いがする。

「先輩、さっき先輩のことを雪みたいで雪じゃないと言ったけれど、やっぱり違いました。 立花先輩は、夜のような人です。月があって星がたくさん散らばっていて、吐く息は白い。 そう、元旦になりたての夜に似ています」

「そうかい」

先輩はまた喉でくっくと笑った。

「ではお前は、私が学園を去った後も新年を迎える度に私のことを思い出すのだな」

「はい、恐らくそうなるでしょう」

先輩はもう笑わなかった。少し屈んで、私の頭を下級生にするように撫でた。

「……風邪をひく前に部屋へ戻りなさい。分かったね」

「分かりました」

「うん。良い子だ」

先輩は下級生に向けるのと同じ笑みを浮かべて、その後、不思議な顔をした。
それから来た時と同じようにさくりさくりと雪と土を踏んで去っていった。

先輩からの借りものの上掛けを被り、手も足もその中へ仕舞い、顔だけを出して空を見た。 少し痺れてきた尻の位置をもぞもぞと変える。深く息を吐くと辺りが一瞬白に隠れた。
静かに目を閉じて、耳をすます。梟の鳴く声。誰かがどこかで雪を踏む音。自分の脈の音。 何だかさっきまでの出来事が全て夢だったような気がする。 立花先輩との会話も、先輩の表情も、先輩のくっくと笑う声も、先輩と話していた自分自身も。 そんなことを考えていたら、色んな気持ちが混ざり合って込み上げてきたので、 夢ではない証の上掛けに鼻を埋めた。

元旦が過ぎてもう何日もたつが、上掛けの中でそっと手を合わせて祈った。
良い匂いを吸い込んで小さく呟いた祈りは白い息に変わって辺りを隠し、やがて消えた。



『僕へ世界、誰かと誰かの夢見る世界』

2010年 元旦 なんでもない日・ヤマネより愛と感謝をめいっぱい込めて。

お正月お持ち帰りフリー作品。綾部と仙蔵を愛する皆様に捧げます。
お持ち帰りの報告は任意ですが、一言頂ければとても嬉しいです。