食満留三郎は、自分が潮江文次郎を好いていることを知っていた。
そして、その潮江文次郎が立花仙蔵を好いていることも知っていた。

それに気が付いたのは今にも雨が降り出しそうな、薄暗い曇天の日だった。



( 自分の目がよく文次郎の姿を追っていることに気が付いた。 会えば殴り合い、喋れば言い争いをし、 決して仲が良いわけではないのに自分の目はいつだって文次郎の姿を探している。 見つけると、安心した。ああ居た。騒がしく笑っている。そう思うと安心した。 文次郎も目があうと、近寄ってきては挨拶代わりのように必ず、 仙蔵の次に長い髪を指で梳いた。 文次郎に髪をいじられるのは嫌いではなかった。髪を梳く文次郎の指はもっと嫌いではなかった。
この気持ちの名前が分からなくて同室の善法寺伊作に話したところ、 骸骨のコーちゃんを抱き締めて、ゆるりと首を横に振った。 そんなもの、知らなくていいよ。そう言って苦しそうに顔を歪めた。
髪の手入れをしてくれている斉藤タカ丸に同じことを伊作のことも含めて話すと、 タカ丸もまた伊作と同じようにゆるりと首を横に振った。 やっぱりさ、難しいよね。そう言って小さく笑った。鏡に映る自分の姿は何故だか少し誰かに似ていた。 )


留三郎が、用具委員会の倉庫前で頼まれ物の修理をしていた時。
細かい作業に疲れて気晴らしに上を向くと、空にどんよりと暗い雲が広がっていた。 もう終いにしようと立上がると、視界の端に文次郎と仙蔵の姿を見つけた。
お前が悪い。人のせいにするな。ずぶ濡れの恰好で言い争いながら歩いている。

仙蔵の白い顔を伝う水が見える。それを見つめる横顔が、見える。
文次郎が、水を滴らせる仙蔵の髪を拭おうと手を伸した。 その手が触れる前に、仙蔵が自分で後ろに垂らした髪を乱暴に掴み雑な手つきで拭った。 懐の火薬が全て駄目になった、とぶつぶつ文句を言いながら。
髪に伸されたままの文次郎の手が宙を掴んで、だらりと垂れた。

ガタン、と足下で音がした。見ると、今まで修理していた会計委員の算盤が手から落ちていた。 10キロ算盤でなくて良かった、と思いながら屈んで拾い上げる。顔をあげた時にはもう2人の姿はなかった。


夕餉の後に留三郎は修理し終えた算盤を会計委員の元へ届けた。
部屋には文次郎一人で、その近くに座布団がもう一つ。 恐らく仙蔵が居たのだろう、と留三郎は思った。
よう。算盤の修理、終わったぞ。そうか、早いな。もう壊すなよ。それは分からん。 算盤を受け取り修理された場所を見つめて、助かった、と言った。 それから留三郎の顔をじっと見て立上がり、髪に手を伸した。留三郎の長い髪を文次郎の武骨な指が優しく梳く。

「似てるな」

留三郎は見てしまった。
( 寂しそうな幸せそうな哀しそうな嬉しそうな、切ない、顔を。 )

「……誰に」

留三郎は気付いてしまった。
( ため息のような一言で、文次郎の思いに。自分の中の気持ちの、名前に。 )
震える唇を噛み締める留三郎を、文次郎が抱き寄せた。
( 知っていたのだ、自分は。だから髪を伸した。 )
文次郎の指が留三郎の髪を撫でる。
( 似合わないと分かっていても、実習でいくら髪が邪魔になっても、 )
文次郎の手が留三郎の顔に触れる。
( 絶対に切らなかった。自分もなれるのではないかと、 )
文次郎の腕が留三郎の身体を、まるで体温を分け与えるかのように抱く。
( 『  』にするように、自分にも、してくれるのではないかと、 )

「それは」

( 思って――。 )

「いい。言わなくて、いい」

文次郎の口がその名前を言うその前に塞ごうとしたその手で、自分の顔を隠した。
暖かな胸元から飛び出すと腕が追ってきた。その腕を振り払う。

「もう二度とおれに触れるな」

喉から出た声は低く小さく、まるで泣き声だった。


留三郎は用具倉庫に走り、手近にあった手裏剣で髪を力任せに切った。
切り辛くて何度も何度も横に引いてやっと切れた。指を開いて、無惨な髪を地面に落とす。 ばさりと広がったそれを踏みにじって蹴散らした。
土埃が目に入って、腕で顔を拭う。涙は出なかった。 ただ、息がうまく吸えない。
見上げた空は曇天に夕暮れが混ざって、菫の花弁と同じ色をしていた。


そのまま四年の長屋に向かった。タカ丸は留三郎の頭を見てすぐ、何も言わずに自分の部屋に案内した。

後ろ髪を丁寧に梳りながらタカ丸は、鏡越しに留三郎の顔を盗み見た。

「髪は、すぐに伸びるよ」

「伸びないでいい。もう伸さない」

「そっか。でもね、それでも、髪は伸びるんだよ」

鏡の中の留三郎が堪えるように目を細めた。

「新しい髪型はどんな風にしようか」

毛先を丁寧に切り揃えていくタカ丸と鏡越しに目があった。

「食満くんなら短い髪も、きっと格好良くて似合うよ」

誰かに似ている留三郎はもうどこにも居ない。



凛々しい髷が出来上がり、切った髪の毛を払うタカ丸の手が一瞬止まった。

窓を見ると、空はもう曇天の灰色でも夕暮れ混じりの菫色でもなく、何もかもを隠す黒に染まっていた。 その中に、傘を被った月が浮かぶ。

「天気は」

窓の向こうで誰かが独り言のようにそう言った。

「……雨だね」

タカ丸も商売道具を丁寧に仕舞いながら小さく呟く。

「きっとしばらく止まないよ」

眠る留三郎の頬を、静かに涙が伝った。



『やまない雨は、』
素敵イラストから生まれた妄想(仙←文←留、とタカ丸)です。
無意識のうちに仙蔵と同じ髪型にしている留さん、 そんな留さんが可哀相な伊作、全部分かってるタカ丸さん。
最後の窓の外の誰かは、心配して探しにきた文次郎です。でも意外に他の人とかでも面白いですね。

殆様(零弌)に捧げます。書かせてくださってありがとうございました。08/12/9