その日は朝から苛々していた。やっと眠れた日だったというのに夢見が悪かった。 起きてすぐ仙蔵と目があった途端に舌打ちをされた。 授業で墨を零して教科書を少し汚してしまった。他にも、他にも。 些細なことが積み重なって、酷く苛々していた。

だから、きっと。

「竹谷は留三郎のことを可哀相で見ていられないと言っていたけど、私はお前の方が可哀相で仕方がないよ」

食堂で少し早めの夕餉をとっていると背後の席へ小平太がどかりと音をたてて座った。 横には長次まで居て、どうやら今日の授業の復習をしているようだ。長次はきっと先生代わりなのだろう。

「どういう意味だ」

「だってそうだろう? お前だけがこんなに責められることってないじゃないか」

筆をよどみなく動かしながら小平太は普段通りの声で言う。

「聞いたよ」

「……誰から。いや、何を」

「とある奴からとある事を」

喉まで込み上げた言葉を、ぐいと飲み下す。小平太が続けた。

「ちょっとした勘違いだったんだろう? なのに、みんな留三郎の味方して。まあ私も留三郎の味方だけどね、お前、体育委員会に予算くれないし。 でもさ、思うんだよ。文次郎は別に悪くないよなって。留三郎も悪いことしてないよ。どっちも悪くないんだよ。 だろう、長次?」

今いち噛み合わない会話に、長次は首をかしげながらもこくんと一つ頷いた。

「だからさ、私はもう一つ、思ったんだよ」

こちらを振り向きもせずに言う。

「留三郎が欲しいって」

長次もまさか、そんなことを言うとは思っていなかったらしく、横の小平太の顔をまじまじと見つめている。 そして、もそもそと口を小さく動かした。

「ええ? 私は本気だよ。だって留三郎、仕事できるし、格好良いし、優しいし。 私はあいつが好きだもの。とてもとても、好きだもの。だからさ、欲しいんだよ」

長次が僅かにため息をついた。そこで俺はやっと自分の口が開いたままだったことに気がついた。

「――ああ、そうか」

そのまま何も言わずに閉じようとした口がそう言った。

「そうか分かった」

「うん?」

小平太も長次も、目を少し大きくして、同じように首を傾げた。お前達はそんなところまで仲が良いな。
ぽろりと出てきた自分の言葉を思い返す。そうか、分かった。そう自分は言った。
そうだ、分かった。

「何を分かったのさ」

「お前にだけは、やらん」

そう言うと少しばかりの間の後に、面白がったような声で小平太が不満げに、えー!と言った。

「お前のじゃないもん、私は欲しい!」

「お前にだけはやらん。絶対にやらん」

背中越しに飛びつかれて、振り落とすように食べ終えた膳を持ち立ち上がる。

「……お前のところにあいつが行ったら、次の経費が大変なことになりそうだからな」

「ほほう?」

愉快そうに眉を動かす小平太を睨みつけると、長次がぽそぽそと口を動かした。

「……ならば、俺が、頂こう。小平太が駄目なら俺はいいだろう」

「長次!?」

まさか長次の口からそんな言葉が出てくるとは、小平太も思っていなかったようだ。

「えー!ずるいや長次!そういうの抜け駆けっていうんだ!」

「……違う、漁夫の利だ」

後ろで勝手に盛り上がりだした二人に、ばかたれ!!と一喝する。

「長次にもやらん!誰にもやらん!!絶対にだ!」

膳を返却し、そのまま食堂を出て行こうとしたとき。
小さな声で小平太が、ばかたれはどっちだよなぁ、と呟く声が聞こえた。

俺だ。



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