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槌の音が響く。どうやら委員会長屋の屋根を修理しているらしい。 壁に梯子がかけられており、その付近には道具やら板が置かれている。 声が聞こえて上を見上げると三年の富松作兵衛が梯子を降りようと近づいて来た時だった。 目があう。作兵衛が何か怖いものとでも目があったように顔を歪めた。ひぃ、とまで言っている。 「こ、こんにちは、潮江文次郎先輩」 降り立ってから、後ろに連れた下坂部平太と一緒に軽く頭を下げた。 「あいつは今なにしてる」 「屋根の修理をしています」 「一人か」 「いいえ、ちびも2人」 「そうか」 「そうです」 そのやりとりを、平太が作兵衛の腰にしがみつきながら見ている。 目があったのでそのまま見下ろしていると、平太の眉がきゅっと寄せられた。どうやらこれは、睨まれている。 「なんだよ」 言うと、さすがに上級生は怖いのかさらに作兵衛の後ろへ隠れようとする平太に、文次郎は眉を寄せて笑う。 「言いたいことがありそうな顔をしている」 作兵衛の服の裾を握ったまま文次郎を見上げて、けんかですか?、と平太が小さく呟いた。 「あ?」 「またけんか、しにきたんですか?」 その言葉に平太でもなく文次郎でもなく作兵衛が、一人大慌てであわあわ口を閉じたり開いたりし始めた。 「だったらどうした」 「ここ、とおしてあげません……」 「おーおー言うねぇ。けど安心しろや、今日は別に、喧嘩しにきたわけじゃあない」 「ほんとおですかぁ……うそだぁ」 「へへへへへへへ平太、平太、うん、分かった分かった、もうやめよう。な。先輩は大事な、ほら委員会とかの話があるんだよ」 「……だって、いっつも、けんかして、けませんぱいけがしちゃう」 けがはいたいから、もうやだ。拗ねたように平太が言った。 その背中をあやすように作兵衛がとんとんと叩く。 随分と嫌われたもんだな、と首の後ろをかいていると、上からしんべエ達の高い笑い声が聞こえた。 「平太、あのな、違うよ。大丈夫だ」 背中を叩いたその手で平太の小さい手を握って、作兵衛が言った。 「もし喧嘩だったとしても、大丈夫なんだよ」 どうしてぇ、とぐずる声に応えないまま、作兵衛は文次郎へ顔を向けた。 「潮江先輩。わたしはあの人がよくわからねえんです。良い人だし、すげぇ人だと思うけど、時々すげぇおっかねえし、不気味に感じる時だってあります」 「……それはそれは」 「喧嘩で潮江先輩にすげぇこと言ってるのと同じ口で、こいつらちび達の頭を撫でて、よくやった偉いぞって言うんです。 聞いてるこっちの耳がとけちまいそうな声で。そうかと思えばわたしに、道具の正しい使い方、危ない使い方ってぇやつを静かに教えてくれるんです。 あんなに不思議で不気味で優しい人は、そういねえんじゃねえかって」 「けませんぱいは、やさしいですよう」 しがみついていた服をひっぱりながら、平太が不満そうに口を尖らせた。 「わ、わかってる!!…だ、だからあの」 「やーさーしーいー!」 「だぁっ!わかってる!わかってるから平太!!」 目の前の光景に耐え切れず笑う。 足にまとわりつかれ困惑の表情を浮かべる作兵衛と、それから、口を尖らせたままの平太の動きがぴたりと止まる。 あの潮江文次郎が笑ったその顔が酷く珍しいと言いたげに、驚きが顔に張り付いている。 その二人を順番に見てから、文次郎はひとつ頷いた。 「俺は、馬鹿だな。それほどのものを俺は今まで見ようとしてなかったんだから」 惜しいことをした。 そう付け加えると、作兵衛の口がもどかしそうに揺れた。 「無理に言わなくていいさ。おめえらの言いたいことはなんとなく分かる。 ……本当にあいつは周りに恵まれてるよ。随分優しく大事にされてんだな。そのおかげで、俺も気付けた」 「違う」 違います。違うんです。 作兵衛が首を振った。俺が言いたいのはそういうことじゃないんです。 「じゃあなんだい。先輩も優しいですよとか、慰めてくれるつもりか?そんなら間に合ってるぞ」 「そうじゃないです。なんていうか」 「なんていうか?」 平太も足元から問いかける。 「俺が知ってるだけでも、あの人はそれだけ色んな顔をもっていて、だから、潮江先輩も、俺も、こいつも、そうだと思うんですよ。色んな顔があって、その日その時の気分で全然違うこと言ったり……だから……えっと」 真剣な表情で、地面を睨んでいる。息をひとつ吸って、吐いて、また少し吸って。 「だから、今日知らなくても明日は知ってる。今日覚えていても明日は忘れてる。そういうことだってあるはずなんです。知らない顔があって当たり前なんです。昨日言ったことと、明日も明後日もずっと同じ人なんて、そうそういないんです」 気持ちが変わること、思いが変わること、言いたいことが変わること、それは悪いことじゃないんです。 「自分以外の誰かと関わってるんだから、影響うけてるんだから、変わって当たり前なんですきっと。 すげー喧嘩して仲直りしてもっと仲良くなったり、内心すげー申し訳なく思ってるのに喧嘩した時の言葉がひっかかってうまくごめんって言えない時とか。 それがあるかないかが大事なわけで、つまり、それ全部ひっくるめて、誰かと関わるってことなんだって俺ぁ思います」 思わず、うん、と頷くしか出来なかった。それほど作兵衛の言葉は真摯で直向きで不器用ながらも強かった。 「けんか、してもいいけど、しないでください」 梯子に足をかけた文次郎の裾を指先で掴んで、平太が言う。 「わからん、けど努力はする。が……」 鬼ごっこくらいは、するかもしれないなぁ。あいつじゃじゃ馬だから。 >>> |